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民主主義 [社会]

多くの人々は、民主主義とは単なる政治上の制度だと考えている。民主主義とは民主政治のことであり、それ以外の何ものでもないと思っている。
しかし、政治の面からだけみていたのでは、民主主義を本当に理解することはできない。政治上の制度としての民主主義ももとよりたいせつであるが、それよりももっとたいせつなのは、民主主義の精神をつかむことである。
なぜならば、民主主義の根本は、精神的な態度にほかならないからである。
それでは、民主主義の根本精神はなんであろうか、それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。
 人間が人間として自分自身を尊重し、互いに他人を尊重しあうということは、政治上の問題や議員の候補者について賛成や反対の投票をするよりも、はるかにたいせつな民主主義の心構えである。
~中略~
民主主義の精神が自分自身を人間として尊重するにあるからといって、それをわがままかってな利己主義ととり違える者があるならば、とんでもないまちがいである。
自らの権利を主張する者は、他人の権利を重んじなければならない。自己の自由を主張する者は、他人の自由に深い敬意を払わなければならない。
キリストは、「すべての人に為(せ)られんことを思ふことは、人にもまたそのごとくせよ」と教えた。孔子も、「おのれの欲せざるところは、人に施すことなかれ」と言った。
もしもこの好意と友愛の精神が社会にゆきわたっているならば、その社会は民主的である。もしもそれが工場の労働者と使用者との関係にしみこんでいるならば、その工場は民主的である。~中略~
どこでも、いつでも、この精神が人間の関係を貫いている場合には、そこに民主主義がある。政治もまた、この精神を基礎にした場合にのみ、ほんとうの意味で民主的でありうる。

民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)
P17

DSC_6193 (Small).JPG金峯山寺

P29
 民主主義は、国民を個人として尊重する。したがって民主主義は、社会の秩序および公共の福祉と両立するかぎり個人にできるだけ多くの自由を認める。各人が生活を経営し、幸福を築きあげてゆくことは、他人に譲り渡すことのできない自然の権利であるとみる。
 しかし、持ちつ持たれつのこの世の中では、そうした自由および権利と照応して、社会の一員として守るべき義務があることは当然である。
民主主義は、ひろく個人の自由を認めるが、それをかって気ままと混同するのは、たいへんなまちがいである。
事実、民主主義は、他人の権利を害しないかぎり、個人が自分の好きなように幸福を求めることを認め、それを奨励する。私どもは、自分の思うところに従って、宗教を信じ、政党を選び、ものを書き、また、語る。
けれども、私どもは、自分がそういう自由を、喜びをもって受ければ受けるほど、たえず私どもの隣人の、ひろくは、すべての国民の同様の自由と権利とを尊重しなければならないと思うであろう。 大きな自由が与えられれば与えられるだけ、それだけ、その自由を活用して、世の中のために役立つような働きをする大きな責任があるというのが、民主主義の根本の考え方である。自分に与えられた自由を、社会公共の福祉のために最もよく活用するという心構えがなければ、いかなる自由も、豚に与えた真珠にすぎない。

P185
民主主義の社会では、何よりもまず、だれもが同じ対等の人間として尊敬しあうという気持を養わねければならない。
個人の自由の尊さを認識せず、個人の尊厳を自覚しない者は、他人の自由を侵し、他人の人格を傷つけることを、意に介しない。
日本人には、特にそういう欠点が多い。他人の私生活に不必要に干渉し、それを悪いこととは思わないばかりか、どうかすると、かえってそれがしんせつであるかのように感違いしている。
むやみに他人のことを気にしたがるくせがあり、人の悪口に興じあったり、人をけなしてむなしい優越感を味わったりする傾きがある。
こんなありさまでは、政治や法律が民主化されても、民主国家の国民たるにふさわしい社会道徳を備えているとは、とうてい言いえない。

P430
  民主主義の社会を動かし、その活動の能率を高めていくものは、人間の力である。
しかし、それは、人間の力といっても、単なる個人の力ではなく、また、単なる個人の力の総計でもない。
リンカーンは言った。「政治の正しい目的は、国民全体のためにぜひともなされなければならないことでありながら、国民のばらばらの努力やひとりひとりの能力ではすることができず、あるいは、やってもうまくいかないような事柄を、やりとげていくにある」と。
民主主義は、無から有を作り上げることはできない。しかし、一見不可能なようなことを可能ならしめる力を持っている。それは、協同のちからであり、組織の力である。

P453
解説
内田樹
前略~
「(住人注;明治憲法下でも)天皇も、国務大臣の意見に基かないでは政治を行うことはできないようになっていたし、行政についての責任は国務大臣が負うべきものと定められていた。これは、政治の責任が天皇に及ぶことを避ける意味であったと同時に、天皇の専断によって専制的な政治が行われることを防ぐための同意でもあった。」(二九二頁)
 限定的ではあったけれど、言論の自由、信教の自由も明治憲法では認められていたと執筆者は繰り返し主張する。「そういう点では、明治憲法の中にも相当に民主主義の精神が盛られていたということができる」とまで書いている(二九三)。
その「民主主義の精神」が日本社会に定着しなかったのは明治憲法には「民主主義の発達をおさえるようなところ」もかなり含まれており、「そういう方面を強めていけば、民主主義とはまったく反対の独裁政治を行うことも不可能ではないようなすきがあった」からである(二九三頁)。  運用次第では明治憲法下でも日本は民主的な国家となることができたとここには書かれている。その先例はイギリスの王政に見出すことができる。
イギリスは立憲君主制であり、国王には議会で決めた法律案に同意することを拒む権利が賦与されているが、その権利は一七〇七年以来一度も行使されたことがない(七三頁)。天皇制もそのように運用することは法理的には可能だったはずである。しかし、そうならなかった。独裁政治の侵入を許すような憲法の「すき」が存在したからである。
 一つは「独立命令」「緊急勅令」という、法律によらず、議会の承認を経ずに法律と同じ効力を持った政令を発令する権限を天皇に賦与したことである。
もう一つは「統帥権の独立」である。憲法十一条に定めた「天皇は陸海軍を統帥す」に基づき、戦略の決定、軍事作戦の立案、陸海軍の組織や人事にかかわるすべての権限が政府・議会の埒外(らちがい)で決定された。
そして、統帥権の拡大解釈によって、軍縮条約や軍事予算編成への干渉、さらには産業統制、言論統制、思想統制までもが「統帥権」の名の下に軍によって専管されたのである。 その結果、浜口雄幸(はまぐちおさち)はテロリストによって、犬養毅は海軍将校によって、ともに軍縮に手を付けようとして殺害された。「武器を持って戦うことを職分とする軍人が、その武器をみだりに振るって、要路の政治家をつぎつぎ殺すことを始めるにいたっては、もはや民主政治もおしまいである」(三〇六頁)。
昭和六年の十月事件、三月事件、血盟団事件、五・一五事件から昭和十一年の二・二六事件に至る一連のテロによって、日本の民主主義はその命脈を断たれた。
「かくて、軍閥は、この機に乗じて日本の政治を動かす力を完全に獲得し、これに従う官僚中の指導的勢力は、ますます独裁的な制度を確立していった。政党はまったく無力となり、民意を代表するはずの議会も、有名無実の存在となった。そうして、勢いのきわまるところ、日華事変はついに太平洋戦争にまで拡大され、日本はまさに滅亡のふちまでかりたてられていった。」(三〇八頁)
 この帝国戦争指導部に対する怒りと恨みには実感がこもっている。軍国主義に対する怒りはGHQに使嗾(しそう)されなくても、本書の執筆者全員に共有されていたはずである。
それゆえ、この教科書は「軍国主義」を近代日本が進むべきだった道筋からの「逸脱」ととらえるのである。
そして、それを「のけて」、明治初期の福沢諭吉や中江兆民のひろびろとした開明的な民主主義思想と、今始まろうとしている戦後民主主義を直接に繋(つなげ)げようとするのである。
そうすることによって、戦後の日本を、実はもともと民主主義的な素地のあった大日本帝国の正嫡として顕彰するという戦略をひそかに採択したのだと私は思う。
 これはすでに気づいた人がいるだろうけど、司馬遼太郎の「司馬史観」と同型のものである。司馬遼太郎は明治維新から日露戦争までの四十年、敗戦までの四十年、戦後の四十年に近代日本を三分割して、第二期にあたる昭和一桁から敗戦までの十数年を「のけて」、前後をつなぐという歴史観を披歴したことがある。
「その二〇年をのけて、たとえば、兼好法師や宗祇が生きた時代とこんにちとは、十分に日本史的な連続がある。また芭蕉や荻生徂徠が生きた江戸中期をこんにちとは文化意識の点でつなぐことができる。」(「この国のかたち」)
「異胎・鬼胎」としての軍国主義を歴史から切除しさえすれば日本文化の連続性は回復できるという司馬遼太郎の歴史戦略は、多くの日本人に歓迎された。それが歴史的なものの観方としてどれほど学術的検証に耐えうるものかは定かでないが、戦後の日本人たちがこの「物語」を愛したのは事実である。
 立場は異なるけれど、本書を執筆した人々の心の中にも、「古き良き日本」と戦後日本を繋(つな)いで、そこに連続性を見出そうとする志向は、控えめな仕方であったにせよ、存在していたように思われる。その心情は掬すすべきだと思う。
 しかし、その作業をほんとうに誠実に履行しようとしたら、どうして日本人はある時点で民主主義を自分で育てることを止めて、軍国主義に魅入られるに任せたのかという重苦しく、つらい思想的・歴史的な問いを引き受けなければならない。残念ながら、敗戦直後の日本人にはそのようなつらく不毛な作業を最優先するだけの余力はなかった。
~中略~
なぜ日本人は民主主義を育てるのを止めて、軍国主義に走ったのか。ほんとうは「民主主義の教科書」はそれを柱に書かれるべきであった。そのことは執筆者たちにもわかっていたと思う。~中略~ 戦後民主主義を讃(たた)えながら、本書では、それは制度の問題ではなく、心の問題だということが強調されているのである。
~中略~
 さらっと読み飛ばしてしまいそうだけど、まさにこの命題からこの本は書きはじめているのである。民主主義は制度ではない、それは心だ、と。そういう考え方も民主主義についての一つの考え方かも知れないけれど、それはあくまで一つの考え方に過ぎない。デモクラシーは心の問題であると断定したら、「それは違う」と言いだす人がいくらでもいるだろう。
カントなら「違う」と言うだろうし、プラトンも「違う」と言うだろう。でも、この本はそういうかなり偏った定義から話を始めているのである。民主主義は制度にではなく、心に宿る。そうだとすると、まったく統治モデルが違う国でも、どちらも心においては民主主義であるということがありうる。
~中略~
 誤解して欲しくないけれど、私はこの「屈曲」を批判しているわけではない。この本を書いた人たちはすばらしい仕事をしたと思う。おそらくは「一億総懺悔」と称して過去の日本のすべての制度文物を「歴史のごみ箱」に放り込んで、新しい政治体制とイデオロギーに適応しようとしている世渡り上手の同時代人を苦々しくみつめながら、敗戦の瓦礫の中から、明治以降の先人たちの業績のうち残すべきものを掘り出して、それを守ろうとしたのである。
敗戦の苦しみの中で、占領軍の査定的なまなざしの下で、本書の執筆者たちは戦前の日本と戦後の日本を架橋して、戦争で切断された国民的アイデンティティを再生しようとして「細い一筋の理性の網」を求めたのである。このような先人を持ったことを私は誇りに思う。


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