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死について考えよう [哲学]

関西学院大学(兵庫県西宮市)で悲嘆学を専門にする坂口幸弘准教授(35)は、「悲しみは消し去る必要はない」と話す。死別をきっかけに家族や友人とのきずなを再確認する人もいれば、人の痛みに共感してボランティアを始める人もいる(→解説33)。
「悲しみは成長をもたらし、新たな人生の旅立ちとも考えることができます」

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア
信濃毎日新聞社文化部 (著)
岩波書店 (2010/3/31)
P166

TS3E0623 (Small).JPG戸上神社秋季大祭

P178
 (住人注;緩和ケアを手伝うボランティアで)まず学んだことは、時間の大切さ。何げなく過ぎてゆく一日一日が、末期がんの人にはかけがえのない時間だと知った。命に限りがあることを意識すると、家庭でも死について話せるようになった。
がんになったときに告知を受けるか、終末期に延命治療を希望するか、夫婦でお互いの意志を確かめた。
毎日の平凡な生活がこの上ない幸せだと思えるようになり、夫婦間で久しく交わしていなかった「ありがとう」の言葉も、自然に出てくるようになった。
 愛知病院のチャプレン(病院専属の牧師)補佐でボランティアコーディネーターも務める吉田和子さん(62)は「終末期は人生の集大成。患者と触れ合うことでボランティアも自分の生き方を見直し、自分の終末期をどう過ごすかを考えるきっかけになる。
入院患者にとっても、閉ざされた病院に外の風を持ち込むボランティアは、患者が社会とつながりを保ち、生活の質を上げることにつながるのです。
 岡本さんはボランティアを通して「終末期の理想と現実にはギャップがある」とも感じている。
「ありがとう」と感謝して旅立つことが「理想の死に方」として語られるが、現実には意識が低下していたりして、そうしたくてもできない人もいる。
「「いい死に方」「悪い死に方」なんてない。最後の迎え方は人それぞれでいい。大事なのは、一人でもそばにいて、手を握ってあげることではないでしょうか」/p>

P205
 ある医師は、磯部記者の取材に「人間はいずれ誰しも最後を迎えるという当たり前のことを認識すれば、一人一人の行動や考えが変わる可能性は大きい。死を日常に取り戻すことは、社会を大きく変える力になる」と力強く語りました。
命に限りがあることに気づけば、もっと思いやりや優しさに満ちた社会にできる、ということでしょう。


 なぜかつては「死」や「命」の問題を正面から語るのがタブーだったのか。理由はふたつ考えられる。
 ひとつは、特に日本では近代まで長い間、自宅で生まれたり亡くなったりというのがあたりまえという時代が続いたので、「特に学校で教えなくても」と思われていた、ということだ。
~中略~
 本来は、「死」や「命」が私たちの生活空間から消え去っていくと同時に、「では、教育の場でその問題を取り上げ、教えよう」という動きがうまれなければならなかったのに、そうはならなかった。
 それは、もう一つの理由、「死とか命の選別といった問題を語るなんて縁起でもない」とそれをタブー視する価値観が、私たちの中で根強くあったからだ。
 自然の流れで自宅で恒例の親族が亡くなっていた時代は仕方なかったとして、いまはせっかくほとんどの人が病院で亡くなり、私たちの日常から不吉な「死」を追い払うことができたのだ。
それなのにまたわざわざその問題を取り上げて、よりにもよって子どもや若者に教える必要などない。そんな考えが大人たちの心の底にはあったのではないだろうか。
~中略~

 若い人たちは、こういった話を正面から受け止め、「不吉だから聞きたくない」「縁起でもないからやめてほしい」とは言わない。自分や家族がそういう最期を迎えたいか、もし子供ができて出生前に重い障害があったとわかったらどうするか、むしろきちんと話し合っておきたい、と考えているようだ。
 しかし、そこでも若干の世代間ギャップが問題になることがある。~中略~
 まだ上の世代の中には、「死の問題はタブー、なるべく考えないでおきたい」と思って避けている人もいるのだろう。

若者のホンネ 平成生まれは何を考えているのか
香山リカ (著)
朝日新聞出版 (2012/12/13)
P218

 アメリカやカナダでは、このような場合には相手が子どもであってもがんの告知をする。
主治医は「もうこれ以上の治療はできない。死を受け入れるしかない」ということを、家族にも本人にも伝えた。
 もちろん家族にとっても本人にとっても、死を受容するのは難しい。
 告知をされた末期がんの患者さんが心静かに死と向き合うことができるまでには、いくつかの段階がある。否定、怒り、そして恐れ・・・・。それらを乗り越えるまでには、誰であれ時間がかかるのだ。

「NO」から始めない生き方~先端医療で働く外科医の発想
加藤 友朗 (著)
ホーム社 (2013/1/25)
P100

 誰もが恐れの心を抱いている!そう、人は皆、死を恐れるものなのだ。ただ有難いことには、それは漠然とした恐れである。われわれはまるで子供のように忘却という寺院の塔が投げかける影の中で遊びたわむれながら、黄泉の国へ向かって旅を続ける。これから先の歳月、何がわれわれを待ちうけているかを気にもとめずに。苦しみと病気は目前に迫っているものの、人生はあまりにも楽しい。「踊りながら進もう」、これが健康な時のモットーであると言えよう。
 自分達は幸福の谷間にいると思い込み、浄飯王が息子の釈迦に対したと同じように、われわれは運命を暗示するものすべてを覆い隠そうとする。これは賢明な態度と言えるかもしれない。誰しも運命を予測することはできないのだから。幸いなことに、人生の悲劇は目には映っても、われわれはそれを現実のものと認識してはいない。あまりに身近すぎて、その実態を正確に摑みえないからである。だが、そのほうがむしろ好都合かもしれない。ジョージ・エリオットは次のように述べている。
「もし、われわれが異常に鋭い視・聴覚を持って生きてゆくならば、草の伸びる音、リスの心臓の鼓動までが耳に入ってきて、静寂とは正反対の喧噪に狂い死にしてしまうであろう」と。
 ところが、多くの人は人生の悲劇を見ても見ぬふりをする。いわば、人生を「愚者の楽園」と思い込む。

平静の心―オスラー博士講演集
ウィリアム・オスラー (著), William Osler (著), 日野原 重明 (翻訳), 仁木 久恵 (翻訳)
医学書院; 新訂増補版 (2003/9/1)
P23


P068
 こんなクールな言葉(住人注;理法を愛するひとは栄え、理法を嫌う人は敗れる「スッタニパータ」九二)でも想像できるように、仏教は一般に日本で考えられるイメージよりも、ずっと理知的な側面を もっている。「さとり」や「しあわせ」のための”しくみ”を探求して論理的作戦をすこしずつ積み上げていっているようにも見えることがある。「坊さん」といえば「葬式」という、現代の感覚はそういう意味では、とてもかたよった状態といえる。
しかし、それでも「坊さん」と「死」は、やはりとても近しい存在だと僕は思う。
人がすこしでも、「生命」や「生きる」ということについて、深く思いをめぐらしたとしたら、そこに間違いなく登場するのは「死」だ。そんなことを考えることの多い「仏教」の「坊さん」に死の儀礼を人々が任せ始めたことは、むしろ自然な流れだったのかもしれないし、僕は今でもその役割を担わせてもらうことが、「大きな意味のあることだな」と感じることが多い。

ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)


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死ぬことは、生きることと同様に、事故でなく、法則としてみれば美しい。
死は生きることと同様にありふれたことなのである。―「エマソンへの手紙」一八四二年三月十一日

ソロー語録
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(著), 岩政 伸治 (翻訳)
文遊社 (2009/10)
P58


(住人注:精神科医のアーヴィン・D・ヤーロムはガンの末期患者に関するある報告書で)「真正面から死と向き合えば、多くの患者は病気にかかる前よりも、自分のあり方をしっかり意識するようになる。多くの患者が「人生に対する考え方が劇的に変化した」と報告している。
 つまらないことで大騒ぎしなくなり、自制心を身につけ、やりたくないことをするのはやめ、家族や近しい友人たちともっと心を開いて話し合うようになる。ささいな物事に関心がなくなる一方、すべての存在に心から感謝する気持ちが生まれてくる。季節の移り変わり、落葉、春の息吹、そして人の愛。
~中略~
 人は死に直面して初めて、懸命に人生を生きるようになるということを示すこの論文の中で最も印象に残ったのは、死の宣告を受ける以前も、その人たちは同じ知識と能力をもっていたということです。
~中略~
 それまでは、これだけでは幸せになるには不十分だと思っていた力です。また、新しい知識を身につけたのではなく、いままでずっと知っていたことにはっきりと気づいただけです。
 それまでは、ただそれを無視したり、気にかけていなかっただけのことなのです。

ハーバードの人生を変える授業
タル・ベン・シャハー(著), 成瀬 まゆみ (翻訳)
大和書房 (2015/1/10)
P232


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