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アメリカは日露戦争直後には対日戦争計画を練っていた [国際社会]

 そもそも、はっきり申しますと、残念ながら日本人には、大局的視野に立って長期戦略を組み立てる、という能力があまりありません。本当はそういう能力のある人が少しはいた方が良いのですが。 「世界最終戦論」をぶち上げた石原莞爾のような人は例外です。
 この能力はアジア人にもなく、ラテン民族やスラブ民族も得意ではありません。最も得意なのはアングロサクソンです。

日本人の誇り
藤原 正彦 (著)
文藝春秋 (2011/4/19)
P127

TS3E0678 (Small).JPG呉市 下浦刈 梶ヶ浜ビーチ

P128
 一方のアメリカは日露戦争の終わった翌年あたりから、テオドア・ルーズベルト大統領の指示で対日戦争計画を練り始めました。オレンジ計画です。対英戦争のレッド計画など他にもありました。

 十九世紀末に西海岸まで到達し、ハワイ、フィリピンを獲得したアメリカにとって、次のフロンティアとしての目標は巨大都市中国でした。そしてすでに満州での利権を独り占めにし、中国への道に立ちはだかるのが、強力な海軍力を持つ小癪なイエローモンキー、日本だったのです。
~中略~
日露戦争での日本の強さを見るや、対日戦争に向けて三十五年間も準備していたのです。
~中略~

 その後も日米戦争だけはどんなことがあっても避けたい日本に対し、アメリカは太平洋の覇権をめぐって日本との激突を必然視し本気で準備しました。
第二次世界大戦で英ソが窮地に陥ってからは日本に先に手を出させようとありとあらゆる努力を重ねました。日米戦争に限って言えば、共同謀議で告発されるべきはむしろアメリカだったのです。 人間というものは、他人を攻撃する際に自分が言われるともっとも痛い言葉を用いる、という心理的傾向があるのです。国も同じです。

 フランクリン・ルーズベルト大統領が米国議会に抗日戦争を促した演説など、日本を悪者に仕立てた修辞は見事なものです。
ルーズベルトは日本に手を先に出させることにより、米国民を奮い立たせ、それによって対独。対日の戦争へアメリカ合衆国を参戦させたにもかかわらず、そこには「日本が不意打ちを仕掛けた昨日は汚辱の日として残るであろう」a date which will live in infamy とか「いわれのない卑劣な日本による攻撃」 the unprovoked and dastardly attack by Japan on Sunday,December 7 とか、歴史に刻まれることになった表現の数々が並んでいます。  アメリカの国論を引っ張ったルーズベルトの政治家としての力量は大したものです。
日本が受け入れるはずのない「日本軍の中国全土、仏印よりの全面撤退、重慶政府以外の中国における他の政府政権の非承認、日独伊三国同盟の事実上の廃棄」などの悪名高き要求を一九四一年十一月二十六日にハル国務長官は日本側に手渡しました。
 日本側はこのハル・ノートが日本を戦争に追い込んだと主張しますが、敵もさるもの、国際社会では何枚も上です。そのハル国務長官は一九四五年にノーベル平和賞を授けられています。
軍事的な勝負でも、外交的な駆け引きでも、国際的な世論の戦いでも、表の工作でも裏の工作でも、日本は多勢に無勢でした。

日本人に生まれて、まあよかった
平川 祐弘 (著)
新潮社 (2014/5/16)
P145


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