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歴史 [国際社会]

 歴史というのは、国家と民族が、たえず変転する国際情勢の中で、生き延びようとする必死の努力が集った大きな流れであり、戦争も平和もそのなかに生まれる巨大な政治社会現象であって、その是非善悪など軽々に論じられるものではありません。

岡崎 久彦 (著)
教養のすすめ
青春出版社 (2005/6/22)
P17

-a526c.jpg大山自然歴史館から美保湾
教養のすすめ

教養のすすめ
価格:1,470円(税込、送料別)

「歴史とは現在と過去との終わりのない対話である」
とは、歴史学者E・H・カーの「歴史とはなにか」の中の一節だが、歴史上の人物の評価は、まさに”現在”を生きる人の見方によってさまざまに変化する。
文庫版あとがき

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて<下>
北 康利 (著)
講談社 (2012/11/15)
P228

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて<下> (講談社文庫)

吉田茂 ポピュリズムに背を向けて<下> (講談社文庫)

  • 作者: 北 康利
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2012/11/15
  • メディア: 文庫

もともと時間という、この形のない極めがたい気味の悪いものに対して、それを測るわれわれの知覚ははなはだ粗笨(そほん)である。
ただそれを物理的に考えて機械で割るときのみ、現代では一秒の何万分の一かを記録することができるそうなのであるが、生きた歴史的な時間に対しては、判断はひどく非科学的である。
われわれはただ漠然たる記憶と想像の中から、勝手なものを気ままに取りだしてくる。 経験的な空間関係の錯誤ならすぐに指摘され訂正されうるが、歴史の中の事件についてはその前後もあやふやに、因果関係も混乱している。われわれの歴史的時間は混沌としている。
そして、これにしいて整理をつけようと思うときには、時間を一筋の川のようなものとして、それに人為的な区切をつける。 それをしなければ、過去を秩序づけることができない。われわれは時代を区分しなければ、歴史を考えることができない。そして、このようにして枠づけられた区分が主になって、その中で生起した事件はこの枠の中にはめられてしまう。
 何年から何年までを飛鳥時代とする。何年から何年までを白鳳時代とする。ここに、この像は何年に作られたものだから、これは飛鳥様式であり、あれは白鳳様式に属する。そして、この時代のAの様式が発展し解消して、次の時代のBの様式に移行していったのである・・・。
このような断定が疑われることなくひろく行われているのは、ほとんど一驚するほどである。
(初出「芸術新潮」昭和28年6月号)
「宝物殿の諸像―二様の線条―」より抜粋
高村光太郎

名文で巡る国宝の観世音菩薩
白洲 正子 (著),広津 和郎 (著),岡倉 天心 (著), 亀井 勝一郎 (著), 和辻 哲郎 (著)
青草書房 (2007/06)
P118

 

名文で巡る国宝の観世音菩薩 (seisouおとなの図書館)

名文で巡る国宝の観世音菩薩 (seisouおとなの図書館)

  • 作者: 白洲 正子
  • 出版社/メーカー: 青草書房
  • 発売日: 2007/06
  • メディア: 単行本

 

 奈良時代と平安時代とを截然区別する心持ちがわれわれにある。 それは便宜上造った時代の区分にまどわされたのである。もとより天平と弘仁の気分には著しい相違があるが、しかし天平時代末期から弘仁初期へかけての変遷は、漸(ぜん)を追うたものであって、どこにも境界線はない。
弘仁期には天平時代末期のデカダンスへの反動がある。同時にその継続もある。 この間の変遷よりはむしろ弘法滅後百年間の変遷の方がはるかに著しい。

古寺巡礼
和辻 哲郎 (著)
岩波書店; 改版 (1979/3/16)
P152

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価格:840円(税込、送料込)

 

「歴史」とは無数の因果関係から適宜に選んだ因果の糸で綴られた、きわめて恣意的な織物なのである。

禅的生活
玄侑 宗久 (著)
筑摩書房 (2003/12/9)
P058

禅的生活 (ちくま新書)

禅的生活 (ちくま新書)

  • 作者: 玄侑 宗久
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2003/12/09
  • メディア: 新書

P28
 歴史とは何か。外交の武器であり、支配の道具である。少なくとも、キリスト教国や儒教国はそう考えているし、実行している。
 その意味で日本人は甘い。まったく「お幸せ」な国でもあるのだ。

P36
 白人の「我々こそが常に歴史の中心であった」という強烈な自我を押しつけ、それに対してイスラムや中華は反発し、張り合っている。国際社会は、歴史に基づく強烈な自我によって動いている。それは単なる歴史歪曲ではない。世界中の指導者(エリート)にとって、歴史とは自我の発露なのである。
 日本人は、欧米の白人が国際社会の権力政治を生き抜くために、どれほど歴史を武器とし、支配の道具としているかの理解が、絶望的に甘いのである。
 日本人は、「ナンキン」や「イアンフ」などに代表される歴史問題で、「正しい事実を発信し続けることが大切なのだ」などと主張する。反論しなければ事実を認めたことになる、という意味ならば正しい。
しかし、事実を訴えれば世界の多数派は受け入れてくれるだろう、などという考えは、もはや純情可憐としか言いようがない。

日本人だけが知らない「本当の世界史」
倉山 満 (著)
PHP研究所 (2016/4/3)

歴史教科書は、政府や学者さんの願望に過ぎない。「国民のみなさん、われわれの歴史はこんなものでした。このように思っていてください」と、彼らが信じていて欲しい歴史像が書いてあるだけである。歴史の用語をおぼえるにはいいが、歴史観が身に付くものではない。

日本史の内幕 - 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2017/10/18)
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