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泣きたい時には泣け [人生]

後悔、悲しみ、悔しさ、喜び、憤慨、さまざまなときに人は涙をながす。
感情に高まりは無理におさえない方がよい。
素直に泣けば、次のステップが開けてくる。

丸山 敏秋 (著), 倫理研究所
幸せになる法則を発見した人 丸山敏雄伝
近代出版社 (2001/11)
P78

-075bb.jpg鵜戸神宮

文部科学省生涯学習政策局認可の社会教育団体で、全国に五十万人を超える会員をもつ団体、社団法人倫理研究所。その創始者である丸山敏雄が唱えた、生活の法則と幸せの法則、彼の人と生涯、思考・美学・感性などをまとめる。

丸山敏雄伝


哀しい哉、哀しい哉、哀(あわ)れが中の哀れなり。
悲しい哉、悲しい哉、悲(かなしみ)が中の悲なり。
覚( さとり )の朝には夢虎(ぼうこ)無く、
悟の日には幻象無しと云うと雖も、然れども猶夢夜( ぼうや )の別、不覚の涙に忍びず。
遍照発揮性霊集 巻第八

哀しくって、哀しくって。
言葉で言い尽くせないほど、哀しくて哀しい。
悲しくって、悲しくって。
心で表し尽くせないほど、悲しくて悲しい。
さとりをひらけば、何ものにも惑わされないというけれど、愛する人との別れには、涙を流さずにはいられなかったのです。

空海 人生の言葉
川辺 秀美 (著)
ディスカヴァー・トゥエンティワン (2010/12/11)
縁について八二


 五木 「ああ、だめだな、自分はこんな暗い気持ちになって。もっと前向きに元気にしなきゃいけない」と思っちゃいけないよ、と言っているんです。
 人生の重荷がどっと雪のように肩に覆いかぶさってきたら、背中を丸めて膝を抱えて、グーッとしなって曲がる。すると、重荷はいつかするっとひとりでに滑り落ちて、また元のように立つことができる。そうすれば、われわれはまた折れずに生きていけるんじゃないか。
望月 そうですね。重かったら、座ればいいし、泣きたくなったら、泣けばいい。我慢して、歯を食いしばるのが、いちばんいけないんです。そうすると、それが老廃物、邪気となって、気の滞りを起こすんだと思うんです。
五木 そう。ですから、いま、しなって、心萎えていたら、ぎゃくに、ああ、これでいいんだ。これでよかったんだと思ったほうがいい。これがあるから生きつづけていけるのだ。

気の発見
五木 寛之 (著), 望月 勇
幻冬舎 (2005/09)
P221

仏教では「死」は、制することができるものだともとらえられている。
「心は遠くに行き、独り動き、形体なく、胸の奥の洞窟にひそんでいる。この心を制する人々は、死の束縛からのがれるであろう」(「ダンマパダ」―法句経― 三七)
 その死の束縛から解き放たれた状態を想像し、尊敬の念を感じながらも、やはりこの場所に生きる未熟な僕(たち)にとって、人と別れ死と出会うことは、想像をこえるような哀しみやさびしさ、苦しみを味わうことになる。弘法大師でさえも智泉という愛弟子の死を受けて、このような言葉を残しているのだ。
 「哀しいかな、哀しいかな、哀(あわれ)が中の哀なり。悲しいかな、悲しいかな、悲(かなしみ)がなかの悲なり」
(弘法大師 空海 「続遍照発揮性霊集補闕鈔(ほけつしょう)」巻第八)
 つづく言葉の中で弘法大師は、仏教のことわりを知ってはいるけど、涙を流さずにはいられない、悲しい、と重ねて言葉を発する。

ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P157


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 私たちには何ひとつムダで不用な感情はありません。一見すると不用に思えるようなネガティブな感情にも役割があり、必要なものです。
 たとえば、「悲しい」という感情が何の役に立つかといえば、自分にとって何が大切なのかを知らせてくれる役割があります。

イラッとしない思考術
安藤 俊介 (著)
ベストセラーズ (2014/11/26)
P205


 白隠(一六八七~一七六八、禅僧。一四四頁参照)の許に参じていた有名な婆さんがいる。それと同参の居士が非常に親しくしておりまして、婆さんを尊敬していました。
ある時その老婦人の孫が亡くなって、身も世もなく嘆き悲しんでいた。そこに居士がお悔みにいって、この男まだあまり(人間が)出来ておらぬ人と見えまして、「あなたのように禅に参じて出来た人でも孫を失えばそんんなに悲しいか」と言った。するとその老婆は色をなして、
「孫が死んで悲しくないような禅なら止めてしまえ」と言った。まことにそのとおりである。
 世の中には相当の人でも、道徳とか宗教とかいうものを誤り解して、道徳や宗教を修めることは、悲しんだり、喜んだりせぬようになることと思っている人が少なくない。
これはとんでもないことでありまして、学問・道徳・宗教を修めるということは、人間が最も人間らしくなることである。

知命と立命―人間学講話
安岡 正篤 (著)
プレジデント社 (1991/05))
P17


 何でも受け入れることができれば奇跡が起こると勘違いして、無理をして完璧な心の平穏を探そうとすれば、それがうまくいかないときに、かえってイライラがつのり、自己嫌悪に陥ります。
 全てを完全に受け入れることができる、そして完全に平穏な境地に至ることができるというのは幻想です。モナ・リザのような永遠のほほ笑みをずっと保てる人など存在しません。
 もう少しだけ自分に優しくしてみましょう。
 失敗も成功も充実した人生の一部として受け入れ、怖れや嫉妬や怒り、そしてときには自分を受け入れられないこと自体を受け入れてみましょう。
私たちはただ単に、そしてどこから見ても人間なのです。

ハーバードの人生を変える授業
タル・ベン・シャハー(著), 成瀬 まゆみ (翻訳)
大和書房 (2015/1/10)
P167


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