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地方創生人材を育てろ [社会]

P342
 「グローバル人材」とはせいぜい言われ出して一〇年ぐらいでしょう。九〇年代まではそんな言葉は使われなかった。
学生を採用する側の企業は、大学に対して、「学生たちにはぜひ基礎的な教養をつけてほしい」と言っていたのです。きちんとした日本語の読み書きができて、古典を読み、歴史や文学を学び、幅広い教養を身につけた人間を育てていただきたい、と。「専門教育は我々がやりますから、変な色をつけないでいただきたい。大学はリベラル・アーツ教育に専念して下さい」と。そう言っていたんですね。
 ところが、九〇年代に入ると話が変わる。採用する企業の側が「もう教養課程なんか要らない。第二外国語も要らない。一年生から専門過程を教えて、即戦力にして卒業させろ」と言いだしてきた。

P345
「世界で活躍できる機動性の高い人間として育てるのは教育的にはいいことじゃないか」と思う人もいるかもしれません。でも、僕はこれは学校教育の本質に背馳(はいち)する要求だと思います。<br.われわれが自分の子どもたちを成熟した市民として育てたいというのなら、そのとき理想とすべきは周りの人から「あなたがいなくなっては困る」と言われるような人のはずです。親族や地域社会の中心にいて、みんなから頼られる人、多くの人がその人の支援やアドバイスを当てにしている人、ネットワークのハブとして機能している人、利害が背反するような人々の間を周旋して、みんなが納得できる「落としどころ」を提示できる人、そういうのが成熟した市民の理想です。
その条件はひと言でいえば、周りの人たちから「あなたがいなくなったらとても困る」と言われることです。
"I can not live without you"というのはもっともつよい愛の言葉ですけれど、教育の目的はそのような言葉を告げられるような人間に育てることです。そのために学校教育をしてきたはずなのに、今「グローバル人材」として要求されるのは「いなくなっても誰も困らない人間」です。企業の都合であっちに行ったり、こっちに行ったり、定年まで世界中ぐるぐるまわることができる。そういう機動性の高い人間が求められている。
でも、これは言い換えると、「どこにも根をおろすことできない人間」のことです。親族からも、地域からも、誰からも頼りにされない。頼りにしようがない、すぐにいなくなってしまうんですから。誰とも親密な恒常的な関係を築けない。築くことができない。そういう人間がいま学生たちに自己形成のモデルとして提示されている。そういう人間であると宣言しなければ、就職試験に受からないんですから。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)

DSC_5027 (Small).JPG平尾台


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話題 [対人関係]

 相手のことについて話をすれば、その人は何時間でも話を聞いてくれる。
                             ベンジャミン・ディズレリー

デール・カーネギー 著
田中 孝顕 訳
こうすれば必ず人は動く
騎虎書房
P45

-0129e.jpg国東半島

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人の動機 [対人関係]

人間性の最も深いところにある動機は、
認められたいという強い願望である。
                 ウィリアム・ジェームス ハーバード大学教授
P45

人間性の最も深い部分にある衝動、
それは自分が重要な人物であるという認識を得たいという欲求である。
                                   ジョン・デューイ
P179

デール・カーネギー 著
田中 孝顕 訳
こうすれば必ず人は動く
騎虎書房

-3ecda.jpg熊野磨崖仏

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コストの外部化 [社会]

日本の株式会社は九〇年代から露骨に「コストの外部化」を始めました。本来であれば、自分たちがコストを自己負担しなければならないことを次々と「外部化」してきた。
人材育成はそれまで社内教育して手作りしてきたものを次々と「外部化」してきた。人材育成はそれまで社内教育して手作りしてきたものを、その分のコストを削減するために大学に外部化した。
同じことをすべての社会活動について行った。公害規制の緩和を要求するのは環境保護コストを外部化するためです。高速道路や鉄道の施設を要求するのは運輸コストを外部化するためです。~中略~
 原発事故がその適例です。東電という一民間企業が安全確保のためのコストを削れるだけ削ったせいでシリアスな事故が起きた。それによって周辺住民は住む場所を失い、仕事を失い、拠るべき共同体を失った。それだけではありません。これから先、土壌の除染や廃炉にかかるコストも国民の税金から支払われる。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P343

DSC_4790 (Small).JPG英彦山


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人から興味を持ってもらいたいと思うならば [対人関係]

人から興味を持ってもらいたいと思うならば、まず人に対して興味を抱くこと。
ですから、自分のことを考えるのをやめ、自分のことを語るのをやめ、
大した者だと思われようとしないこと。

デール・カーネギー 著
田中 孝顕 訳
こうすれば必ず人は動く
騎虎書房
P77

 -b0927.jpg熊野磨崖仏

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教育の受益者は本人ではなく、社会全体 [教育]

かの国(住人注;アメリカ)は基本的に「自助の精神」を重んじる国です。アメリカ社会における理想的な人格とは「self-made mann」です。
他人に依存せず、誰からも支援されず、独力で地位も、財産も、威信もすべて築き上げた人間を敬する伝統があるわけです。「開拓者の国」ですから。  ですから、この国では「弱者の支援」というアイディアがほんとうの意味で根づいたことはないのかも知れません。
例えば、アメリカ教育史上の大問題は、公教育の導入に多くの市民が反対したことです。

公教育の理念自体はコンドルやルソーなど、一八世紀のフランスでできたものですが、行政的に公教育が導入されたのはアメリカが最初です。
アメリカは公教育の先進国なのです。ただ、この公教育制度に対して、つまり「税金を使ってすべての子どもたちに初等中等教育を施す」という仕組みに猛然と反対した市民たちがいた。
 彼らは教育の受益者は「教育を受ける本人」であると考えた。子どもたちが学校に通い、そこでしかるべき教育を受けて、有用な知識や情報や技術を身につけて、資格や免許をとり、社会的上昇を果たすとするならば、教育の受益者は子どもたち自身だということになる。
だとすれば「受益者負担」の原則を適用して、教育経費は受益者たる子どもたち自身が、あるいはその扶養者である親が負担すべきではないのか、そこにわれわれの納めた税金を投じるのはアンフェアである、そう言って反対する人たちが出現してきた。これは反論のむずかしいロジックでした。彼らはたしかに刻苦勉励して税金が払えるような身の上になった。だから、自分の子どもたちにそれなりの教育を与えることができるようになった。
けれども、自分ほども努力していないし、才能もない貧乏人たちの子弟のためになぜ教育機会を提供しなければならないのか、その理由がわからない。彼らが教育を受けて、それなりの社会的能力を獲得すれば、自分の子どもたちとポストをめぐって競合することにもなりかねない。 なぜ、自分の懐を痛めてまで他人の子どもに自分の子どもに自分の子どもを蹴落とすチャンスを提供しなければならないのか。
教育の受益者は教育を受ける本人である。それなら、教育を受けたいものはまず働いて、金を貯めて、それを自己投資すべきである。~中略~
 それでも公教育が実現したのは、公教育論者たちが納税者たちを「短期的には損だが、長期的にはお得」という利益誘導のロジックを用いて説得したからです。~中略~ どう転んでも、こどもたちに教育を施したほうが長期的に見れば「金になる」んです。そういうふうに説得した。
 でも、僕は今でも、こういう経済合理性のロジックで公教育の導入に成功したという歴史的事実そのものがアメリカの根本にある種の「ねじれ」を呼び込んだのではないかと思います。
「学校教育」というのは、それで誰かが「金を儲ける」ことができるから有用であるというような理屈で基礎づけてはならないものだからです。
 学校教育の受益者は教育を受ける子どもたちではありません。誤解の多いことなので、繰り返し強調しますが、学校教育の受益者は本人ではなく、社会全体なのです。
われわれが学校教育を行う理由は、一言で言えば、われわれ共同体を維持するためです。集団として生き残るためです。次代の共同体を支えることのできる成熟した市民を育成するためです。自余のことは副次的なことにすぎません。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P316

TS3E0887 (Small).JPG英彦山


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いつ死ぬる木の実は播いておく [教育]

 種田山頭火(たねださんとうか)の

「いつ死ぬる木の実は播いておく」という

言葉じゃないけれども、
 小供から裏切られようが信じられなかろうが、
親父は親父としてね、ひそかに

人間とはこうあるべきだという生き方を、
黙々と示していってほしいなと思います。

        松原 泰道 「親と子」を語る

        玄侑 宗久
        多生の縁―玄侑宗久対談集
        文春文庫
        P160

-903af.jpg熊野磨崖仏

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主権国家だと思われていない [日本(人)]

二〇一八年の八月に、オリバー・ストーンというアメリカの映画監督が広島で講演しました。そのときに彼はあっさりと「日本はアメリカの衛星国(satelite state)でり、属国(Client state)である」と話しました。僕はその映像を見て、強い衝撃を受けました。
オリバー・ストーンはこう言いました。「日本の映画は素晴らしい。日本の食文化もすばらしい。文物はどれも素晴らしい。でも、この国には政治がない。この国にはかって国際社会に向かって、「私たちはこのような理想的な世界を作りたい」という理想を語った政治家が一人もいない。日本は何も代表していない(dosen't stand for anything)そう言い切ったのです。
 アメリカを代表するリベラル派の知識人が、日本は「属国」で「衛星国」で、「国際社会に対して発信すべき政治的メッセージを何も持っていない国である」とごくふつうに、淡々と述べた。別に口角泡を飛ばして主張したわけではありません。まるで「そこには海があります」というように、ただの客観的事実として、誰一人反論する人がいるはずもないかのように述べたことは僕は衝撃を受けたのでした。
そうか、それがアメリカから見た日本の実像なのか。アメリカ人は日本のことを主権国家だと思っていない。
でも、日本人は日本のことを主権国家だと思っている。その認識の落差に僕は愕然としたのです。 事実、日本のメディアはこの発言を一行も報道しませんでした。「オリバー・ストーン監督、広島で講演」という記事は出ました。でも、その内容については何もコメントしなかった。
仮にも広島での核廃絶を願う公開の集会で日本はアメリカの「衛星国」「「従属国」だと発言したのです。そう思うならそのまま報道すればいいし、そう思わないなら「ふざけたことを言うな」と反論すればいい。でも、日本のメディアはどちらもしなかった。国家主権にかかわる話が出ると、自動的に耳を塞ぎ、目をつぶるのが習性となった動物のように自然に無視した。
 日本がアメリカの「衛星国」「従属国」であるというオリバー・ストーンの指摘は間違っていないと僕は思います。まずはそこから話を始めるべきなのです。実際に敗戦後の日本人は現実を受け容れ、その現実の上に立って、主権回復・国土回復という気の遠くなるように時間のかかる政治課題に取り組んできた。その作業の前提にあったのは「日本はアメリカの従属国である」という現実認識でした。
 ところが、いつのまにか日本人はこの現実認識そのものを捨ててしまった。そして、まるで主権国家であるかのようにふるまい始めた。米軍基地が国内にあるのは、まるで日本がそうであることを願っているからであるかのように思い始めた。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P356

TS3E0866 (Small).JPG英彦山


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無上 [人生]

 

 短い人生で何もかも割り切っていこうということは、傲慢ですね。
 無知を知ると、自然に謙虚になってゆく。
 仏教用語では、「 無上 」と申し上げます。
 上限がないんです。


       松原 泰道 「 親と子 」を語る


       玄侑 宗久
       多生の縁―玄侑宗久対談集
       文春文庫
       P155

-f4171.jpg熊野磨崖仏

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資源ナショナリズム [社会]

 経済成長を願うなら、われわれが今豊かに享受している国民資源を「パブリックドメイン」に保全することを止めて、すべて商品化して、市場に投じればいい。それが最も効果的なんです。
自然資源も、水も、農林水産業も、医療も、教育も、全部市場に委ねる。そうすれば間違いなく超少子化・高齢化社会でも経済成長は可能です。森林や水源が私有地になり、TPPで自営農が壊滅して、アメリカ型の大規模モノカルチャーになり、医療も教育も全部が商品化して値札がつき、自治体もアメリカのサンデイ・スプリングス市のように富裕層向けに再編されるようになれば、日本だってぐいぐい経済成長します。
 日本は成熟社会・定常社会に向けて自然過程を歩んでいます。
これを無理強いして経済成長させようとすることは、われわれが公共的に所有し、次世代に無傷で伝えなければならない国民資源に手を付けることなしには果たせません。未来の日本国民たちが、僕たちが今無償で享受しているものをお金を出して買わなければならない状態にすることでしか成長できません。
~中略~
今の日本の指導層はもう国益のためには働いていません。未来の日本人のことなんかもちろん考えていない。考えていたら、原発の再稼働なんて思いつくはずがない。国益よりも自分たちの個人的な利益や個人的な欲望充足を優先している人たちが国の方針決定している。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)br />P378

DSC_4869 (Small).JPG英彦山


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評価コスト [社会]

P329
自己評価委員長のとき、「教育評価システム」を導入しました。教員一人一人の個人的な能力を査定して、数値的に格付けして、それによって教育資源を傾斜配分する。そういう仕組みです。
立派な業績をあげ、多くの学生院生を指導し、煩琑な学務を担っている教員と、ろくに授業も持たず、論文も書かず。学務もさぼる教員とが同じ待遇を受けているのは不合理である、能力業績に応じて合理的に資源を分配しようではないかと、成果主義的な教員査定システムを考案し、それを教授会に提案しました。
 もとろん、教授会から批判の十字砲火を浴びました。でも、そのときは文部省も大学基準協会もそう言っているんだから、これがトレンドなんだと言い張って、むりやり採決に持ち込みました。
今日の「グローバリスト」の言い分そのままの「選択と集中」のロジックを駆使したのです。結果的に神戸女学院大学は日本のリベラルアーツ系の詩学では初めて、教員個人についての評価システムを導入する学校となりました。  しかし、自分が旗振り役をして鳴り物入りで導入したこのシステムがまったく失敗であることに気づくまで、たいして時間はかかりませんでした。最大のミスは「評価コスト」を過小評価していたことです。

P332
結局、評価制度を導入したことのもたらした成果は、会議の時間が増え、読まなければならないドキュメントが増え、書かなければならないほうこくしゃが増えただけでした。 もちろん、僕が目の敵にしていたような「動かない教員」に対する恫喝という効果は多少はありました。でも、それがもたらす最大限は「せいぜい給料分働いてもらう」ことに過ぎません。その結果を得るために、それまでもらう給料の数倍のオーバーアチーブをこなしていた教員たちをバーンアウトさせてしまった。差し引き勘定してみたら、大損害です。
 でも、九一年の大学設置基準の大綱化から始まった「大学改革」の流れの中で、僕たちは教養を改組したり、学部学科を新設したり、評価制度を導入したり、シラバスを書かせたり・・・・・・という作業の中で、同じような「大損害」を生み出し続けて来たのでした。
 特に独立行政法人化という大きなタスクを抱え込んだ国立大学の教員たちの苦しみは想像を絶するものがありました。
九〇年代、二〇〇〇年代にこの仕事を押し付けられたのは、三〇代、四〇代の、「仕事のできる」若手教員たちでした。彼らの多くはそのような事務作業に押しつぶされて、研究者として最も脂の乗る時期を五年、一〇年と空費しました。それが日本の学術のアウトカムにもたらした被害はどれほどのものだったでしょう。
それが教育改革がもたらしたメリットよりもはるかに大きいものであったことは確実です。それはデータ的にもわかっています。
独立行政法人化の直前から、つまり会議とペーパーワークの「大波」が日本の国立大学を呑み込み始めた時から、日本の学術論文の点数は減少し始め、かつてはアメリカに次いで世界二位だった論文数が、中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、イギリスに抜かれ・・・・さらに急坂を転げ落ちるように減少し続けている。この学術的アウトカムの劣化が「大学改革」と無関係であるとは、よほど厚顔な文科官僚でも言い抜けられないでしょう。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)

DSC_4862 (Small).JPG英彦山


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三学戒ー学問の力 [学問]

少( しょう )にしてして学べば、即ち壮( そう )にして為すことあり。


壮にして学べば、即ち老いて衰えず。

老いて学べば、即ち死して朽ちず。

                       「 言志晩録」第六〇条


                       佐藤 一斎 著

                       岬龍 一郎 編訳

                       現代語抄訳 言志四録

                       PHP研究所

                       P1

1898187青の洞門

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共生する作法 [社会]

 例えば、「弱者を支援する」という事業ですけれど、これは強者であったり、標準的な人間であったりする「私」が、同じ集団内にいる「弱者」に対して、善意を以て支援の手を差し伸べるという発想をしている限り、長続きしません。
弱者に対する支援というのは、集団の維持のために絶対に必要なものであり、とりわけ集団が危機的状況に陥ったときに最優先的に果たさなければいけないことなんですけれど、そういう集団の存亡にかかわるような重大事を個人の善意や雅量や想像力や思いやりなどに依存していたのでは、集団は一瞬で吹っ飛んでしまいます。
相互支援、相互扶助あるいは他者との共生、弱者の支援はもっと強靭な社会的基盤の上に基礎づけなければいけない。その基盤が整備されていなければ、共同体は保てない。でも、そういう発想をする人は今の日本にはほとんどいない。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P312

DSC_4843 (Small).JPG英彦山

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ファカルティ(教師団) [言葉]

P325
「教師」というのは大学の場合は教授団(faculty)として機能します。「ファカルティ」というのは集合名詞です。さまざまなタイプの教師たちが形成する集団、これが「教師団」なのです。
「個人」ではなく「集団」です。「集団」の中にいる一人一人の先生たちはもちろん専門も違うし教育理念も違う。教育方法も違う。理想としているものも違う。それぞれ教育について違う考えを持つ教師たちが集まって、「ファカルティ」という一つの多細胞生物を形成している。それが教育の主体です。

P328
 ですから、学校の本務とは、いかに多様なタイプの教師たちを集めて、彼らを一つの教師団としてまとめ上げるか、その仕事のことです。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)

DSC_4834 (Small).JPG英彦山


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簡単には変わらないものもある [社会]

 教育というのは非常に惰性の強い制度です。惰性が強いというのは、「昔からこうだったから、簡単には変えられない」という言葉が強い説得力を持つということです。
ところが教育に市場原理が侵入してきたころ頃から、「惰性的なものはすべてよろしくない」という話になってきた。政治家もビジネスマンも教育評論家もメディアも、口を揃えて「教育制度は惰性的で、なかなか制度を革新しようとしない。これではグローバル化する世界の変化についてゆけない。ただちに変化せよ」と言い立てたわけです。でも、僕はこの主張は間違っていると思う。
 たとえば学校の教師のメンタリティというのは、そんなに簡単に変わるものじゃない。医者でもそうですし、警察官もそうです。景況が変わったり、雇用環境が変わったり、産業構造が変わったりすると、それについてどんどん変わる職業的メンタリティーというものがあります。
でも、社会がどれほど変わっても、簡単には変わらないものもある。
医療や教育や司法にかかわる人間のメンタリティはそれほど簡単にはかわらないし、変わるべきでもないと僕は思います。そういう制度は政治体制が変わっても、市場動向が変わっても、それに影響されて変わるべきではない。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P243

 

 

DSC_4829 (Small).JPG英彦山


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政治的緊張期の日本人統御 [日本(人)]

  「売国」ということばが、日本においてその政敵に対して投げられる慣用後(フレーズ)としてできあがったのは、記録の上ではおそらくこのとき(住人注;井上聞多・伊藤俊輔が開国主義に変節して帰国した)が最初にちがいない。
 井上らは、やぶれた。
 次いでこの藩の藩主と重臣たちがとった手段は、その後の日本において繰りかえしおこなわれるようになった事柄にきわめて似ていた。
藩主以下重臣たちは井上のいうことがよくわかっていながら、三十日には、
「攘夷はあくまで断行する。決戦の覚悟肝要なるべき事」
 という大布告が発せられた。
発した政治の当務者はこの大布告の内容をもはや信じてはいない。しかしこれを出さねば、井上帰国によっておこった藩内の疑惑と動揺と沸騰がしずまらないのである。
国際環境よりもむしろ国内環境の整備の方が、日本人統御にとって必要であった。

このことはその七十七年年後、世界を相手の大戦争をはじめたときのそれとそっくりの状況であった。
これが政治的緊張期の日本人集団の自然律のようなものであるとすれば、今後もおこるであろう。

世に棲む日日〈3〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/04)
P181

唐戸 (6) (Small).JPG唐戸市場

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教育の効果は数値化できない [教育]

P234
教育が投資だとしたら、いったいその投資がもたらす利潤とは何でしょう。
 みなさんが、ご自分の子どもに教育投資を行う。高い教育を受けさせる。すると、子どもたちの労働市場における流通価値、付加価値が高まる。子どもたちが学校で身につけた知識や技術がやがて労働市場に評価され、高い賃金や地位や威信をもたらした。その総額が投下した教育投資総額を超えた場合に「投資は成功だった」とみなされる。
要するに、教育投資の総額と子どもの生涯賃金を比較して、投資額よりも回収額の方が多ければよい、と。
 これはほとんど教育の自殺に近い考え方だと思います。
 まず第一に、そうなってしまうと家庭というのは「ファクトリー(工場)」であって、子どもはそので創り出す「製品」だということになる。

P225
 みなさん「実学」ということを軽々に口にされますが、あらためて「実学って何のことですか?」と聞くと、絶句してしまう。「実用性の高い学問のことです」というふうに答える人もいる。
では、と重ねて訊きます。「天文学は実学ですか?解剖学は実学ですか?考古学は実学ですか?数学は実学ですか?」と答えられない。
天文学が有用な学問であることは誰だってわかります。でも、自分の子どもが「天文学者になりたい」と言ったら、たぶん「そんな夢みたいなことを言うんじゃないわよ」って言うんじゃないですか。
 みなさんがおっしゃっている「実学」というのは有用性とは関係ないんです。要するにそれは「教育投資が迅速かつ確実に回収できるようが学問領域」のことなんです。~中略~
 実学における有用性というのは、つきつめて言えば、「労働市場が高い値を付けること」つまり、教育投資の元金がすぐに回収できること」のことなんです。それを平然と「実学」と称している。
 教育のアウトカムは計量不能なんです。教育の効果は数値化できない。だから、教育を「投資と利益の回収」というスキームで論じるのは、はじめからお門違いなんです。
 教育のアウトカムは、卒業後に得られた地位や年収でしか測定できないというのは、だいたい、いつ誰が決めたことなんですか?

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)

 

 

DSC_4820 (Small).JPG英彦山


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パーフェクトを期待するな [教育]

人の悪を攻むるには、太( はなは)だ厳なるなかれ、


その受くるに堪えんことを思うを要す。


人に教うるに善を以ってするは、高きに過ぐるなかれ、


当にそれをして従うべからしむべし。


                  洪自誠 

                       守屋 洋 (著), 守屋淳 (著)

                       菜根譚の名言 ベスト100

                        PHP研究所 (2007/7/14)

                       P161

1937889高千穂宮

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リクツ主義vsリクツ抜き主義 [教育]

   ところがK君によりますと、このアメリカ人の尺八の「教え方」が実にうまいというのですね。
K君自身も尺八をやるのですが、このアメリカ人の教え方と日本人の先生のそれとどこが違うか。
これは尺八に限らず、「芸道」にはよくあることですが、日本人の場合まずリクツ抜きに先生によく密着して、とにかく自分でもヤミクモに練習し、「やっているうちに何とかなる」という、”秘伝”方式だ。
ところがこのアメリカ人だと、リクツ抜きじゃなくて反対にリクツ主義(?)とでもいいますか、とにかく「技術」にして、どこがどう悪い、指がどうの、くちの当て方がどうのと、具体的に、合理的に、すべて説明のつくものとして教える。
その結果、アメリカ人に尺八を習う方が早く上達するというのです。
 ~中略~ しかし、超名人級になるのに、はたしてどちらの方式が「良い」かとなると、かなりむずかしい問題になってきます。これは日本文化の根底にかかわることかもしれません。

実戦・日本語の作文技術
本多 勝一 (著)
朝日新聞社 (1994/09)
P53  

DSC_6370 (Small).JPG

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なぜ勉強しなければいけないの? [教育]

P232
 六歳の子どもが手を挙げて「先生、それを学ぶと何の役にたつんですか?」と言うとき、子どもは子どもなりに「有用性のモノサシ」を持っているわけです。でも、問題なのは、その六歳児のモノサシで世界中の価値がすべて計れると思っていることです。
だから、そういうときは、「バカモン、子どもは黙って勉強しろ!」と言うのでいいんです。~中略~
 「いいから黙って」という言葉が物質的な迫力を持つためには、「君には君がなぜ勉強しなければいけないのか、その理由がわからないだろうが、私にはわかっている」という圧倒的な知の非対称性が必要なんです。子どもが、「あ、この先生は私が「私についてしらないこと」を知っている」と実感しないと、「いいから黙って」は奏功しない。

P234
 子どもに四書五経の素読なんかさせたって、学問的有用性はまったくないんです。
ではいったい何を教えているのかというと、「子どもには理解できないような価値が世界には存在する」ということそれ自体を教えているわけです。「お前が漢籍を学ばなければならない理由を私は知っているが、お前は知らない。」という師弟の知の非対称性そのものを叩き込んでいるわけです。極端な話、漢籍の内容なんかどうだっていいんです。子どもに「手もちの小さな知的枠組みに収まるな」ということを殴りつけて教え込んでいる。
子どもに「オープンエンド」ということを教え込んでいる。それさえわかれば、あとは子ども自身が自学自習するから。

P237
 特に授業に対して不熱心な子どもたちに共通して感じるのは、単なる怠慢や不注意ではないんです。彼らはだいたい「わかったような顔」をしているんですよ。
「すべて、わかっているんだよ」と。「おまえがやろうとしているようなことは全部お見通しなんだよ」という顔をする。これは先ほど言ったとおり、消費者マインドを刷り込まれた子どもの共通性格なんです。
自分の前に登場してきた未知のものに対して、一覧性を要求する。彼らはこれを正当な要求と思っていて、親も教師もそれに同意している。これが一番いけないと思います。
 こどもたちにはこれから学ぶことの価値も意味も実はわかっていないという根源的な事実を教えるのが、教育の存在理由なわけですから、子どもに「みんなわかっているん」という態度を絶対に許してはいけない。でも、現在はまったくその逆になっている。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)

 

 DSC_4813 (Small).JPG英彦山


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吉田松陰 [雑学]

(この当時の長州藩の)こういう空気の流通と陽あたりのよさが、松陰の人間のなりたちに大きく影響している。  むしろ影響しすぎた。松陰はのちひろい天下に出るが、出たとき、幕府もまたこのように物分かりがいいであろうという人のよさが心のどこかにすわっており、そういう楽天性が、百の挫折にも撓(たわ)まなかった生涯をかれにおくらせたともいえる。

世に棲む日日〈1〉
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋; 新装版 (2003/03)
P40

スライド28 (Small).JPG 松陰神社

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ディプロマ・ミル [社会]

「ディプロマ・ミル」とは「証書工場」、「ディグリー・ミル」は学位工場という意味です。
教育機関としての実体は何もなく、ビルの一室を借りて、デスクと電話があるだけの会社が「ナントカ大学」を名乗っている。しかるべき金額をそこに振り込むと、その大学の名義の博士号がもらえる。
一応の形式としては、それなりのレポートを書いたり、論文を差し出す必要があるらしいのええすが、それさえ要求しないところもある。安いところだと一〇〇万円ぐらい出すとナントカ大学という名前のついた博士号がいただける。
そういうアメリカの大学の博士号のようなものを持って、それを履歴書に書いておくと「箔がつく」と思う人がいる。それをありがたがって「すごいですね」と感心してくれる人がいる。~中略~
 こういした学位工場はアメリカではずっと昔から存在しています。

最終講義 生き延びるための七講
内田 樹 (著)
文藝春秋 (2015/6/10)
P216

DSC_4760 (Small).JPG英彦山


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誰のための学問 [学問]

 

此の学は己れの為にす。


固( もと )より宜しく自得を尚( たっと )ぶべし。


駁雑( はくざつ )を以て粧飾と倣( な )すこと勿れ。


近時の学、殆ど謂わゆる他人の為に嫁衣装を倣すのみ。

                       「言志耋録」第一九条


                       佐藤 一斎 著

                       岬龍 一郎 編訳

                       現代語抄訳 言志四録

                       PHP研究所(2005/5/26)

                       P195

1923350厳島神社7

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見えないものを信じる [ものの見方、考え方]

 

 この世の中は見えないものが真実、実在なんですよ。宇宙は見えないんです。
見えるものはほんのわずかしかない。
というのは見えるものというのは眼球が感じる波動しか見えない。ところが波動というのは無限にあるんです。

葉室 頼昭 (著)
「神道」のこころ
春秋社 (1997/10/15)
P183

2181986東大寺の鹿

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目の整形手術は日本で発達した [雑学]

鼻を高くする隆鼻術は西洋のものだが、目を大きくする目の整形手術は、日本で発達した。
江戸美人の眼は横幅を要求されたが、ぱっちり縦に開いている必要はなかった。ところが、西洋の美人写真が入り、この国でも目の面積が大きいのが美人ということになった。  ここで日本に天才医師があらわれる。丸ビル眼科を経営する医学博士・内田孝蔵(こうぞう)である。内田は高遠(たかとお)藩(長野県)の藩校絵画教師の家計に生まれ、美術的感性をもっていた。
この人がドイツに留学し、当時、世界最高の外科学にふれた。そして、この男が関東大震災に遭う。顔面やけどの患者の皮膚の引きつりをメスで治療するうちに手技が向上。目頭をWやZ字状に切開して、目を大きくする美容整形法を確立した。
~中略~
 昭和初年には、目の整形手術も現代とさして変わらない値段でできたということだろう。東アジアでは、まず日本がドイツからの技術を入れて目の整形手術を発展させ、それが韓国・中国へと広がって、歴史上かつてない整形身体加工の時代をもたらしている。

日本史の内幕 - 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで
磯田 道史 (著)
中央公論新社 (2017/10/18)
P161

 

DSC_5026 (Small).JPG平尾台


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抗うつ薬の鎮痛作用 [医学]

 痛みに悩み苦しみぬいている人たちの多くは抑うつ状態であることは確かである。痛みによって誘発されるこの抑うつ状態は、きわめて自然であるから、この抑うつ状態を改善させるために抗うつ薬を投与することも、また、きわめて自然の理にかなった鎮痛法である。このことにより、抑うつ状態は改善される。
 ところが、抗うつ薬は、うつ状態の改善作用とは別に、抗うつ薬自体の独立した鎮痛作用も同時に有することが最近判明してきた。
脳脊髄液中に存在するセロトニンという物質は、痛みの抑制機構、とくに下行性抑制性制御機構を賦活させる役割を果たしていることが最近明らかになった。
抗うつ薬はセロトニンの濃度を高めることが明らかにされているので、このことが鎮痛効果をもたらすものと考えられている。
 したがって、抗うつ薬には、①うつ状態の改善、②痛みの抑制機構の賦活という、いってみれば、痛みに対する理想的な薬ということができる。この意味でも、抗うつ薬は痛みの治療薬として、もっと広く用いられてよい薬である。
 抗うつ薬に、このよな鎮痛効果のあることが明らかにされる以前には、抗うつ薬投与によって改善される痛みは、すべてうつ状態に起因している痛みである、と解釈されていたが、それは明らかな誤りであったのである。

痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る
柳田 尚 (著)
講談社 (1988/09)
P197

DSC_5024 (Small).JPG平尾台


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東洋医学に対する誤解 [医学]

P187
東洋医学では、私たちのからだに存在するすべての臓器の「何か」が、目の周囲、耳(図34)、あるいは足の裏などに集中しており、その部位に、鍼を行なえば、その内蔵の「何か」という病気が治癒するともいわれている。
 東洋医学でいう内蔵の「何か」という病気なるものの概念が、西洋医学でいう炎症であるのか、機能低下であるのか、あるいは腫瘍であるのか、さらに免疫の低下であるのか、いっさい規定していないので、議論の対象からはじめからなり得ない。
 子宮の病気に特有のツボが耳にあるといっても、子宮の病気なるものはいったいなんであるのか、子宮筋腫であるのか、子宮癌であるのか、子宮癌であっても、子宮体癌なのか、子宮頸部癌なのか、その病気の内容と実体を明確に規定せずして、治療効果を判断すること自体不可能である。

P189
あたかも、走れなくなって倒れていたこの女子選手が鍼によって急に走りだしたのごとき、理論的にはあり得ない鍼の効果だけが、前面に押し出されているところに重大な誤解がある。
 鍼を打つともう野球選手としては再起不能になる、と公に公言し、知的水準の高いマスコミも「なるほど」と納得するところに、東洋医学に対する誤解の根強さがある。そのようなことは、鍼の科学的根拠としては、理論的にあり得ない。
 東洋医学の正しい発展と普及のために真剣な努力を続けている人たちにとって、無責任なマスコミの情報は、きわめて不幸なことと指摘しなければならない。
 また、東洋医学を実践している人たちも、今までありとあらゆる西洋医学的治療を行って無効だったものが、鍼一本で完治した、などという非科学的な表現は避けるべきで、病状の実体を、より科学的に西洋医学的病状と対比させながら明らかにすることがきわめて重要なことと考えられる。

痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る
柳田 尚 (著)
講談社 (1988/09)
 

DSC_5022 (Small).JPG平尾台


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モルヒネ [医学]

P190
非常に多くの鎮痛薬なるものが臨床の場に登場しては、いつの間にか潮が引くように消えてゆくなかで、紀元前四千年頃からモルヒネは、常に確固とした地位に君臨しつつ現在にいたっている。モルヒネにまさる鎮痛薬は今までもなかったし、今後も出現する可能性はきわめて少ない。 
 自然界に存在する植物のケシから抽出されたアヘン(麻薬類)は、シュメール人によってはじめて使用されたという。ギリシア人は、ケシの抽出物の作用は眠りの神(ヒポノス)、夢の神(モルフェウス)によるものと信じ、モルヒネという名前がつけられたとされている。

P191
 モルヒネに関して重要なことは、モルヒネに対して根強く定着している誤解を解くことであろう。
モルヒネは鎮痛薬として他のいかなる鎮痛薬よりもすぐれているにもかかわらず、モルヒネに関する誤解はあまりにも多く、しかも根強い。この誤解は、多くの医師にとって確信に近いものであるため、一般の人たちにとっても患者にとっても、当然のごとく誤った知識が定着している。また、モルヒネに対する誤解を、マスコミもまたモルヒネと覚醒剤を混同してヒステリックに報道しつづけてきている。

P195
痛みさえなくなれば、麻薬をほしがることは普通の場合には見られない。アルコール中毒患者が酒の味よりもアルコールそれ自体をほしがると同様に、麻薬中毒患者は痛みとは関係なくモルヒネをほしがる。したがって、アルコール中毒患者と同様にモルヒネに関しても、モルヒネ中毒患者は実在する。~中略~
 モルヒネ中毒患者が実在するという理由で、何ものにもまさるモルヒネの鎮痛効果の実用的な価値を否定することは、「風呂の水と一緒に赤ん坊まで捨ててしまう」ことになるといわなければならない。

痛みとはなにか―人間性とのかかわりを探る
柳田 尚 (著)
講談社 (1988/09)

DSC_5023 (Small).JPG平尾台


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植民地にならなかった国 [日本(人)]

 「アジア、アフリカで植民地にならなかった国は、日本のほかに・・・・どこだろうな?おそらくひとつかふたつしかないとおもうよ。昔は一般的に、”日本、タイ、エチオピア”と言われていたけれど、エチオピアは第2次大戦前、イタリアに攻め込まれたし。あとはタイだけだろうな」
「え?そんなに少ないの?」
「日本は運がいい。いや、うんがいいのでなく頭がよかったのだろうな。だって織田信長のころ宣教師が来日したときや、徳川時代の終わりに西欧の国々が開国をせまったときも、植民地になる危機があったわけだろ?」
 ハッとした。そういう考え方を日本の学校の歴史の時間に習った覚えがないからだ。たぶん、今の日本の中学生、高校生も習っていないだろう。幕末の日本人の中で、アフリカや南米と同じように日本が植民地になるという恐怖を抱いた人が、はたしていたのだろうか。
 第2次世界大戦の敗戦のあとも同じで、「アメリカに占領される」とは言っても「植民地にされる」とは言わなかったのではないか。この時期、欧米列強は植民地の発想は捨てていたかもしれないが、日本列島を分割占領する案が検討されていたとも聞く。

一度も植民地になったことがない日本
デュラン れい子 (著)
講談社 (2007/7/20)
P91

 

P1000048 (Small).JPG京都タワー

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ホスピス [医療]

   緩和ケアの考え方が、がんの早期からとり入れられるようになったとはいえ、現実問題として、がんに対する攻撃的治療をやりたい放題やった挙句、刀折れ矢尽きた果てに到達する場所が、ホスピスになっているのではないでしょうか。いわば”尻拭い施設”です。
 別に、これは、ホスピスを貶めていっているのではありません。結果的にそういう位置づけになっているのではないかといっているだけです。

大往生したけりゃ医療とかかわるな
中村 仁一 (著)
幻冬舎 (2012/1/28)
P121

IMG_0030 (Small).JPG大谷山荘

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