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共感することは良いこと? [医学]

P87
トラウマはすでに日常語となり、自らのうちにトラウマらしきものを見出し、自分をPTSD患者だと規定する者まで現れるようになった。
こういった世の流れからか、患者の内なるトラウマに”敏感”な治療者も増えつつあるように思われる。すなわち、患者の「心的現実」のうちに深く入り込みすぎるさまが、ここかしこで見受けられるようになった。
 一般に、治療者が患者と<共感>することは、もっぱら良いこととして捉えられている。 しかし本当にそうなのだろうか。

P89
 患者が治療者に語る言葉は、もちろん大変重要である。しかし、患者が治療者に切実にその「心的現実」を伝えようとするからといって、治療者はそれを額面どおり受け取るべきではない。治療者が望む筋立てで、患者の「心的現実」を変更させてゆく危険性さえあるのだから。
 原則として、臨床の場で患者の「心的現実」を取り扱う際、夢の場合と同様、その内容自体よりもどこに強度がおかれているかが重要である。

精神科医になる―患者を“わかる”ということ
熊木 徹夫 (著)
中央公論新社 (2004/05)

精神科医になる―患者を“わかる”ということ (中公新書)

精神科医になる―患者を“わかる”ということ (中公新書)

  • 作者: 熊木 徹夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2004/05/01
  • メディア: 新書


DSC_4724 (Small).JPG求菩提山

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道徳というもの [倫理]

P86
道徳について、私がいつも気になることは、どうも道徳ということを、一般的には、何か我々の生活上の特殊な問題のように考える癖がついている。
特殊なこと、不自然なこと、無理なこと、強制しなければできないことのような、そういう先入観念があります。これを先生たる者、教育者たる者は、まず直さなければならないと思う。
 人間が禽獣的・動物的段階からだんだん発達してくるにつれて、善であること、美であること、真実であること、神聖ということ、つまり価値観というものができてきました。
そして現実の上に理想が考えられるようになってきて、だんだん動物と違うようになってきた。
そこに自然に生じてきたものが道徳というものであって、道徳とは、一般概念と違って、最も自然なものなのです。
道徳とは特殊なもの、不自然なもの、何か作為的なもの、強制的なものだと考えることが根本的な間違いで、逆に、道徳というものが一番自然なもの、最も真実なものであるということは、はっきりわきまえなければいけない。また、わきまえさせなければいけない。これをなくしたら、元の禽獣にはね返ってしまう。
 早い話が飲食をするということ、飲んだり食ったりするということが、これからして実は道徳なのです。人間ともなれば、犬や猫のようにはできぬ。飲食の仕方が違ってくる。

P88
 西洋でも物のわかった学者は、宗教と道徳とを区別したのは、人間のとんでもない間違いだと言っておるが、その通りで、広い意味において、人たることは道徳なのだ。すべて、人間はいかに生くべきかということなのであって、これを間違えたら人間は破壊してしまう。

P90
 つまり道徳というものは、小なり大なり人間のあり方、人間の行動をいかに自然にするか、いかに真にするか、美にするか、人と人との間をいかに良くするかです。これが道徳です。

安岡正篤
   運命を開く―人間学講話
  プレジデント社 (1986/11)
  

人間学講話第2集 運命を開く (安岡正篤人間学講話)

人間学講話第2集 運命を開く (安岡正篤人間学講話)

  • 作者: 安岡 正篤
  • 出版社/メーカー: プレジデント社
  • 発売日: 1986/12/02
  • メディア: 単行本


宇治川 (4) (Small).JPG 宇治川

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民主主義 [社会]

多くの人々は、民主主義とは単なる政治上の制度だと考えている。民主主義とは民主政治のことであり、それ以外の何ものでもないと思っている。
しかし、政治の面からだけみていたのでは、民主主義を本当に理解することはできない。政治上の制度としての民主主義ももとよりたいせつであるが、それよりももっとたいせつなのは、民主主義の精神をつかむことである。
なぜならば、民主主義の根本は、精神的な態度にほかならないからである。
それでは、民主主義の根本精神はなんであろうか、それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。
 人間が人間として自分自身を尊重し、互いに他人を尊重しあうということは、政治上の問題や議員の候補者について賛成や反対の投票をするよりも、はるかにたいせつな民主主義の心構えである。
~中略~
民主主義の精神が自分自身を人間として尊重するにあるからといって、それをわがままかってな利己主義ととり違える者があるならば、とんでもないまちがいである。
自らの権利を主張する者は、他人の権利を重んじなければならない。自己の自由を主張する者は、他人の自由に深い敬意を払わなければならない。
キリストは、「すべての人に為(せ)られんことを思ふことは、人にもまたそのごとくせよ」と教えた。孔子も、「おのれの欲せざるところは、人に施すことなかれ」と言った。
もしもこの好意と友愛の精神が社会にゆきわたっているならば、その社会は民主的である。もしもそれが工場の労働者と使用者との関係にしみこんでいるならば、その工場は民主的である。~中略~
どこでも、いつでも、この精神が人間の関係を貫いている場合には、そこに民主主義がある。政治もまた、この精神を基礎にした場合にのみ、ほんとうの意味で民主的でありうる。

民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)
P17

DSC_6193 (Small).JPG金峯山寺

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タグ:文部省
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この人民ありてこの政治あるなり [日本(人)]

  愚民を支配するには、とても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。
西洋の諺に愚民の上に苛き政府ありとはこのことなり。
この政府の苛きにあらず、愚民の自ら招く災いなり。

福沢 諭吉 (著)
学問のすすめ
岩波書店; 改版版 (1978/01)
P18 学問のすゝめ 初編

学問のすゝめ (岩波文庫)

学問のすゝめ (岩波文庫)

  • 作者: 福沢 諭吉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1978/01/01
  • メディア: 文庫


-ad342.jpg 壇上伽藍 金堂 高野山 

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宣伝と真実を区別するには [社会]

  真実を探求するのは、科学の任務である。だから、うそと誠、まちがった宣伝と真実を区別するには、科学が真理を探究するのと同じようなしかたで、新聞や雑誌やパンフレットを通じて与えられる報道を、冷静に考察しなければならない。
乱れとぶ宣伝を科学的に考察して、その中から真実を見つけ出す習慣をつけなければならない。  一、科学的考察をするにあたって、まず心がけなければならないのは、先入観念を取り除くということである。
われわれは、長い間の経験や、小さい時から教えられ、言い聞かされたことや、最初に感心して読んだ本や、その他いろいろな原因によって、ある一つの考え方に慣らされ、何事をもまずその立場から判断しようとするくせがついている。~略
 二、次にたいせつなのは、情報がどういうところから出ているかを知ることである。 読んだり、聞いたりしたことを、そのまま信じこむことは、ただに愚かなことであるばかりでなく、またひじょうに危険である。
だから、いつも自分自身に次のようなことを質問してみるがよい。すなわち、だれがそれを書き、それを言ったか。それはどんな連中だろうか。かれらにはそういうことを言う資格があるのか。どこで、どうしてしの情報を得たか。
かれらは先入観念を持ってはいないか。本当に公平無私な人たちか。あるいは、まことしやかなその発表の裏に、何か利己的な動機が隠されてはいないか。こういった質問を自分自身でやってみることは、たしかに科学的考察の役に立つであろう。
 三、新聞や雑誌などを読むときに、次のような点に注意する。
 イ、社説を読んで、その新聞や雑誌のだいたいの傾向、たとえば、保守か、急進かをできるだけ早くつかむこと。
 ロ、それがわかったならば、それとは反対の立場の刊行物も読んで、どちらの言っていることが正しいかを判断すること。
 ハ、低級な記事を掲げたり、異常な興味をそそるような書き方をしたり、ことさらに人を中傷したりしているかどうかを見ること。
 ニ、論説や記事の見出しと、そこに書かれている内容とを比べてみること。
記事の内容にはだいたいほんとうのことが書いてあっても、それにふさわしくない標題を大きく掲げ、読者にまるで違った印象を与えようとすることがあるから、標題を見ただけで早合点してはいけない。
 ホ、新聞や雑誌の経営者がどんな人たちか、その背後にどんな後援者がいるかに注意すること。政府の権力に迎合する新聞を御用新聞というが、政府でなく、金権階級におもねるような新聞も、御用新聞であるにことに変わりはない。
 四、毎日の新聞やラジオは国際問題でにぎわっている。今日では、国の内部の政治は国際問題と切り離すことにできない関係があるから、国際事情にはたえず気をつけて、その動きを正しく理解することが必要である。
戦争前の日本国民は、世界じゅうが日本のやることをどう見ているかを少しも考えずに、ひとりよがりの優越感にひたっていた。これからも、日本が国際関係の中でどういう立場におかれているかを、たえずしっかりと頭に入れて、そのうえで国内の問題を考えてゆかなければならない。
国際間の宣伝は、国内におけるよりももっと激しく、もっとじょうずに行われるから、いろいろなことを主張し、論争している国々の、本当の目的を察知するように努めなければならない。特に、言論や出版が政府の手で厳重に統制されている国に対しては、そういう注意がたいせつである。

民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)
P143

DSC_6192 (Small).JPG金峯山寺


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アディクション [言葉]

P140
小田嶋隆さんとの対談の予習に「やめられない心―毒になる「依存」」(クレイグ・ナッケン、講談社+α文庫)という本を読んだのですが、ずいぶんと勉強になりました。この本では、依存症や中毒ではなくて正しくアディクションという言葉が使われています。さすがです。
アディクションでは、もともとあった自己の人格に加えて、アディクション人格という新たな人格ができてしまい、それが次第に大きくなって、もとの人格を蝕み、最終的には取って代わってしまう、というように説明されています。
 なるほど、納得の解説です。アディクションになって人が変わった、というよりも、二重人格のようになって、もとの人格が取って代わられていった、と理解するとめらくわかりやすいやないですか。

P143
アディクションにはいろいろなものがあって、大きく二つに分類されています。
ひとつは、アルコール、薬物、タバコといった、節酒すると気分がよくなるよなものによる「物質依存」で、もうひとつはギャンブル依存、仕事依存、ゲーム依存、ネット依存といった「行為依存」です。
 詳しいメカニズムがわかっていないので、それぞれの依存症で異なっている可能性もあります。しかし、ざっくりいうと、依存症とは、脳内に新しい「快楽のネットワーク」のようなものができてしまう状態である、ということは間違いなさそうです。

P144
 アディクションなんか関係ないわ、と思う人がほとんどかもしれませんが、それは間違いです。
遺伝要因、環境要因などいろいろあって、なりやすい人やなりにくい人というのはあります。けれど、「アディクションの根底にあるのは、「幸福感を得たい」という欲求を、意のままに満たそうとする渇望であり企て」(「やめられない心」より)なのですから、けっこう本能に近いものです。
 それに、今の世の中、アルコールや薬物、ギャンブルなどではなく、ネット依存となると、誰もが陥る可能性があるといっても過言ではありません。
平成29年度の調査では、中高生のうち約14%になたる93万人がネット依存の疑いありで、5年前から倍近く増えたことが報道されているほどです。

(あまり)病気をしない暮らし
仲野徹 (著)
晶文社 (2018/12/6)

DSC_6189 (Small).JPG吉野神宮


タグ:仲野徹
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民主主義と多数決 [社会]

P109
法律を作ったり、政治の方針を決めたりする場合に、みんなが違った意見を主張し、お互の判断を固執して譲らないということになると、いつまでたっても結論に達することができない。
各人の考えは尊重しなければならないが、さればといって、互に対立するどの考えにも同じように賛成し、甲の意見ももっともだ、乙の主張にも理由があると言ってばかりいたのでは、1つの方針でもって実際問題を解決することは不可能になる。
そこで、民主主義は多数決という方法を用いる。
みんなでじゅうぶんに議論をたたかわせたうえで、最後の決定は多数の意見に従うというのが、民主政治のやり方である。~中略~
そうして、一度決めた以上は、反対の考えの人々、すなわち、少数意見の人々もその決定に従って行動する。それが多数決である。多数による決定には、反対の少数意見の者も服するというのが、民主主義の規律であって、これなくしては政治上の対立は解決されず、社会生活の秩序は保たれえない。

P110
実際には、多数で決めたことがあやまりであることもある。少数の意見の方が正しいこともある。むしろ、少数のすぐれた人々がじっくりと物を考えて下した判断の方が、おおぜいでがやがやと附和雷同する意見よりも正しいことが多いであろう。
いや、国民の中でいちばん賢明なただひとりの考えが、最も正しいものであるということができるであろう。それなのに、なぜその少数のすぐれた人々、最も賢明なただひとりの人の意見を初めから採用しないで、おおぜいにかってな意見を言わせ、多数決というような機械的な方法で、その中のどれか一つに決めるというやり方を行なう必要があるのであろうか。
 多数決に対しては、昔からそういうもっともな疑問がある。いや、単に疑問があるばかりでない。それだから、多数の意見によって船を山にあげるような民主政治をやめて、最も賢明な人に政治の実権を任せてしまう方がよい、という議論がある。その中でも最も有名なのは、ギシリアの哲学者プラトンの唱えた哲人支配論である。
~中略~
 けれども、プラトンの理想国家論は、政治の理想であるかもしれないが、これをそなまま現実に行おうとすると、かならず失敗する。
なぜならば、最も賢明だと称する人に政治の全権をゆだねて、一般の国民はただその哲人の命令に服従してゆけばよいというのは、けっきょくは独裁主義にほかならないからである。 独裁主義によれば、独裁者は国民の中でいちばん偉い人だから、その人の意思に従っていればまちがいはないという。しかし、独裁者が国民の中でいちばん偉い、いちばん賢明な人物であるということは、いったいだれが決めるのであろうか。

P124
 それでは、日本はどうであろうか、日本人は、自分たちでほんとうの政治上の自覚を持つ前に、戦争の結果として最も広い政決参与の権利を得た。
独裁主義は追放されて、万事が選挙と多数決とで行なわれる世の中となった。 これで、これからの日本の政治が明るく築きあげられてゆくであろうか。もしも国民が、今までのように政治的に無自覚であれば、それはおぼつかない。
これに反して、みんなが勉強して政治に興味をもち、自分たちの責任と努力をもって多数決の原理を正しく運用してゆくならば、やがて焦土の上にも明朗な世の中が築きあげられるであろう。

民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)

DSC_5918 (Small).JPG宝満山


タグ:文部省
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エピジェネティクス [言葉]

 エピジェネティクス(住人注;エピジェネティクス―新しい生命像をえがく(岩波新書))の定義はいろいろありますが、ザックリと、DNAの塩基配列の変化なしに細胞がある状態を記憶する現象、ということができます。
そのエピジェネティクスでいくと、バーカー仮説でもオランダの饑饉でも、お母さんのおなかの中にいた時の状態がある種の記憶として細胞に刻み込まれ、それが半世紀もたってから病気の罹りやすさに影響を与える、と考えられるのです。

(あまり)病気をしない暮らし
仲野徹 (著)
晶文社 (2018/12/6)
P109

 

 

 

 

DSC_6202 (Small).JPG金峯山寺


タグ:仲野徹
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「差し控え」と「中止」は違う? [医療]

P204
 死の避けられない終末期の患者において生命維持治療を望んでおらず、医療者も生命維持治療のメリットが乏しいと判断する場合、生命維持治療を差し控えること(以後、「差し控え」と記載)は一般に広く許容されている。
例えば、全国のほとんどの緩和ケア病棟は患者に対して病状悪化時に人口呼吸管理、血液透析、心肺蘇生術などの濃厚な生命維持治療を行わないことへの合意を前提に利用を認めている。
また、自宅で死を看取られるがん患者も濃厚な生命維持治療を行わず死を迎えるのが一般的である。
一方、生命維持治療の中止(以後「中止」と記載)については「一度始めた生命維持治療はやめられない」と考え躊躇されることが多い(1)。
 つまり、「中止」は「差し控え」と倫理的に異なり、してはいけない(悪い)行為であるとみなされていることになる。しかし、もし「差し控え」と「中止」が倫理的に異なる行為なのだとすると、以下に占め主要ないくつかの矛盾が生じる。
~中略~
 このように、「差し控え」と「中止」を倫理的に異なる行為であると仮定すると様々な矛盾が生じてくる。
一方、逆に「2つの行為は倫理的に同質である」と見なすと、これらの矛盾は全て解消される。実際、アメリカやイギリスなどで出されている生命維持治療の差し控え・中止に関する法律、判例、ガイドラインなどを見ると、一貫して「差し控えと中止は倫理的に同質の医療行為である」と明記されている(2)。
~中略~
 ただ最終的に、「差し控え」と「中止」を異なる行為とみなすか、同質の行為とみなすかは、我々の判断次第である。
たとえ、「差し控え」と「中止」を倫理的に同質の行為とみなすことが合理的であったとしても、様々な心理的、感情的なバイアスの影響から逃れるのは難しいことである。

P207
 あらゆる医療行為において、その行為を行うことの医学的妥当性は、期待しうるメリット(利得)とデメリット(損失)を比較考量して判断することになる。
したがって、生命維持治療の是非を判断するにあたっても、そのメリット(生命の延長)とデメリット(治療を行うことによって生じる苦痛)を天秤にかけて比較することが必要である。
「差し控え」を考慮する際には、治療を開始することによって生じる「心身の苦痛」という「損失」の方が、治療を開始することによって得られる「生命の延長」という「利得」よりも大きいと評価され、最終的に「差し控え」が医学的に妥当であると判断されることは通常の医療において珍しいことではない。
 ところが、同じ状態の患者において、いったん始まった生命維持治療の中止を考慮する際には、治療を中止することによって「生命が短縮する」という「損失」の方が、治療を中止することによって「苦痛から解放される」という「利得」より大きいと評価され、治療の中止は妥当ではないと判断する傾向がある(たとえ患者が生命維持治療を希望していなかったとしても)。
当然ながら、「差し控え」でも「中止」でも、生命維持治療によって生じる「利得」と「損失」は本質的に変わるものではない。ところが、同じものを見ているはずなのに、「差し控え」のときと、「中止」のときとでは、「利得」と「損失」のどちらがより大きいかの評価がまったく逆になってしまうのである。
~中略~
「差し控え」を検討するときの「参照点」は治療開始前の状態である一方、「中止」における「参照点」はすでに治療が開始された状態の患者である。
このようにして各々の「参照点」から見た生命維持治療の見え方の違いによってその評価が異なることになるのである。このときの生命維持治療の見え方の違いによってその評価が異なることになるのである。
~中略~
我々は「損失回避バイアス」の影響によって、各々の「参照点」から見て「損失」を与えるような変化を生じさせたくないという心理が働く。その結果、「差し控え」においては生命維持治療を「開始する」という行為によって生じる「損失」が、一方の「中止」においては生命維持治療を「中止する」という行為によって生じる「損失」が、より重視されることになる。
こうして「中止」においては「差し控え」とは逆に、「患者の死が早まること」を「避けるべき損失」と感じる心理がより強く働くことになる。しかし、もし「治療を行うことの苦痛」よりも「治療を行わないことで患者の死を早めること」の方が重大な問題なのだとすると、そもそも「差し控え」を許容することもできないはずである。
 さらに、この「損失回避バイアス」から生じる人間の心理として、「現状維持バイアス」「保有効果」「不作為バイアス」も「差し控え」と「中止」が異なって見えることを強化している。 

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)

DSC_5909 (Small).JPG宝満山


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「ガイドライン」は何者かの都合で作られる [医療]

 高血圧学会は「高血圧治療ガイドライン」という冊子を出し、日本中の医者はそこに記された基準値によって、患者が高血圧かを判断する。ほとんどの医者がそれに従うのだから、ガイドラインは非常に多くの影響力があるといえる。
ガイドラインはおよそ5年で改定され、そのたびに基準値は下がってゆく。
 実際に目を通すとわかるが、冊子は非常に読みずらい。あいまいで細かい区分、ちりばめられた難解な専門用語、おそろしく回りくどい説明・・・・。読んでいると、苦痛を感じる。こうして煙幕を張りながら、彼らは抜け目なく基準値を下げるのだ。

P31
 ここに興味深い新聞記事がある(2008年3月30日付読売新聞朝刊「指針(住人注;ガイドラインのこと)作成医9割へ寄付金 製薬企業から」)。
 新聞社は、全国50の国立大学に、2002年から2006年までの5年間で、医学部の学者の受け取った寄付金の額や提供者を公開するよう求めた。
 その結果、高血圧や高コレステロールなどのガイドラインを作った276人中87%にあたる、240人に製薬会社から寄付金が渡っていることがわかった。
2004年の高血圧ガイドラインの場合、委員の9人全員に、合計約8億2000万円もの寄付金が渡っていた。
~中略~
「「外部から研究費を多くとるほどよい教授」という見方が強く、寄付の多さで評価されるようになった」
 これは、とってもまともな状況とは思えない。寄付金の多さ=評価なら、大学や学会が製薬会社との癒着を推し進め、自ら御用学者を生み出しているということだ。

P40
 アメリカにも日本と同様、高血圧のガイドラインを決める委員会がある。そこの研究者たちは、製薬会社から講演料、助成金,株などを受け取り、議論をゆがめるため、医療ジャーナリストから「高血圧マフィア」と呼ばれている。
~中略~
 2003年に、基準値が140から120に下がられた時、アメリカの高血圧患者は5000万人増えたという。日本では20下げると、患者は2000万人増えるから、人口比から言って、当然そうなるだろう。
 以前、アメリカで、3歳以上の子供に血圧検査をすべきという意見が、研究者によって発表されたことがある。高血圧が中高年に特有なのは、いうまでもない。基準値はそうは下げられないため、年齢層を下げるという新手を考え出したのだろう。


高血圧はほっとくのが一番
松本 光正 (著)
講談社 (2014/4/22)

高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書)

高血圧はほっとくのが一番 (講談社+α新書)

  • 作者: 松本 光正
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/04/22
  • メディア: 新書




高塚地蔵尊 (8).JPG高塚地蔵尊

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国会 [社会]

民主主義制度のもとでは、法律を作るのは、国王でも、大統領でも、総理大臣でもなく、国民自身なのである。そこでは、国王でも、大統領でも、総理大臣でも、その他いかなる公務をつかさどっている人々でも、国民の作った法律には従わなければならない。
ただ、国民が直接に法律を作る代わりに、それを国民の代表者たる国会に任せるのである。国会の仕事がいかにたいせつなものであるか、有能で忠実な国会議員を選ぶことが国民にとってどんなに重要であるかは、これによってよくわかるであろう。~中略~
今日の国家の法律は非常に複雑な発達を遂げている。したがって、よい法律を作るためには、専門の知識がいるし、よくよく利害得失を考えてかからなければならない。
それを、法律についてはしろうとが多い国民が決めるということになると、かならずよい結果が得られるというわけにはいかない。まして、国民が、いいかげんな判断や、物好きな気持ちなどで投票をすれば、せっかく苦労してできたよい法律案が否決されてしまうということにもなる。
それに、何千万というような人口を有する国家で、一々の法律案を国民に示し、国民の投票によって可否を決するということは、たいへんな手数と暇とがかかる。そこで、実際には、高い見識と深い経験とを持った人々を集めて国会を組織し、法律の制定は国会に任せて、国民は国会議員を選挙するにとどめておく方が、かえってぐあいがよいということになる。
それが代表民主主義であって、今日の大部分の民主国家では、この方法が制度として採用されている。

民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)
P88

DSC_5916 (Small).JPG宝満山


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政府の役割 [社会]

P67
 無政府主義の理想とする社会では、権力の組織がないのだから、つまり、君主もなければ、大統領もなく、議会もなければ、裁判所もないということになる。
もしも、クロポトキンなどの説くように、それで世の中の平和が完全に保たれ、人々の自発的な協力と援助とによって、社会の福祉がおのずから増進してゆくものであるならば、政府などというものは不用となるであろう。政府がなければ、権力をもって人民を圧迫する危険も起らないにきまっている。
 しかし、政府がなくてすむのは、理想の社会である。現実の社会では、人々の間に意見の対立が生じ、利害の衝突が起る。その場合、すべての人々の言い分を通すわけにはいかない以上、その多数が支持する考えを実行することと定め、それに反対の、もしくはそれとは違う意見を持つ他の人々も、その考えに従うべきものとし、あくまでも反対する人びとに対しては、その決定を強制してゆかなければならない。
このように社会的な強制力を持った組織が、政府である。だから、社会的な強制力の必要がないほどまで人間の世の中が完全になるまでは、政府の必要はなくならない。

P90
 法律を作るのは、国会のいちばんだいじな仕事であるが、いくらよい法律を作っても、その運用のしかたが悪ければ、政治の効果は決してあがらない。
ところで、法律を運用するには、一方に裁判所があるが、実際の政治の方面で法律の執行をつかさどるのは政府である。
したがって、政治が円滑に行われるためには、国会と政府との間の呼吸がうまく合ってゆくことが必要である。そこで、多くの民主国家では、国会と調子のあった政府を作ることができるようなしくみになっている。
日本の新憲法で、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」ことになっているのも、そのためである。
だから、国民が国会議員を選挙するのは、ただの国会議員を選んでいるだけではなくて、それと同時に、直接に政治をつかさどる政府の首脳者を選ぶことになるのである。

民主主義
文部省 (著)
KADOKAWA (2018/10/24)

DSC_5912 (Small).JPG宝満山


タグ:文部省
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平等 [言葉]

 人間はやっかいな社会動物である。
 古代、インド亜大陸の北方にアーリア人(白人)がいた。紀元前十三世紀に亜大陸に侵入し、土着の黒色低鼻の諸民族を征服し、皮膚の白黒によって鉄のような身分性をつくった。
白いバラモンに次ぐのは、おなじくアーリア人のクシャロリア(武士階級)であった。バラモン階級は思索し、クシャトリア階級は王や武人として民をおさめる。
ついでながら釈迦は人間みな平等であるとおう激烈な(!)説教をたてたために結局はその教説はカースト制のインドでうけいれられず、衰弱した。
 アメリカという社会は、多分に法律用語としての「平等」の上に立っている。
 ついでながら、明治の日本は、西洋語の対訳としての新・日本語を無数に造語し、ふるい日本語(とくに仏教語)を過去のものにしたが、無差別をあらわす「平等」という仏教語は、いまも新しい内容を伴って生きている。
日本語の平等は、もともと法律用語でなく仏教語だったことを忘れるべきではない。

アメリカ素描
司馬 遼太郎(著)
新潮社; 改版 (1989/4/25)
P187

DSC_4174 (Small).JPG関門海峡

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保有効果 [言葉]

「保有効果」とは、すでに保有しているものを高く評価しがちなため、すでに所有している資財(例えば100万円のビンテージ・ギター)は手放そうとしないのに対して、その同じ資財を同額で入手しようとは思わないというバイアスのことである。
同様に、生命維持治療に対する評価においても、すでに行われている現状においては生命維持治療を中止する(手放す)ことは躊躇があるものの、その同じ状態において生命維持治療を新たに開始(入手)しようとは思わない傾向がある。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P210

DSC_5894 (Small).JPG宝満山


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ソーシャルマーケティング [言葉]

 行動変容に関するもう1つの重要な枠組みは、ソーシャルマーケティングである。
ソーシャルマーケティングとは、企業のマーケティングで使われる様々な手法を社会的な課題の解決に用いるものである。
具体的には、対象者をその特性や特徴に基づいてグループ分けをして、対象者の特徴・特性を考慮したメッセージを作成するというマーケティング技術を用いて、対象者の自発的な行動を促すようなプログラムを計画する一連のプロセスのことをいう(6)。
望ましい健康行動を定義することができれば、ソーシャルマーケティングの方法は「ナッジ」を具体化する方法と考えることができる。
 また、対象者の特徴・特性を考慮する際には、第2章に示した様々な種類の「バイアス」と健康行動の間の関連性を検討し、健康行動を特徴づけている「バイアス」を特定していく。そうすることによって、対象者をグループ化することができる。
これをソーシャルマーケティングでは、対象者セグメンテーションと呼んでいる。さらに、対象者の特徴に合わせて行動変容に有効なメッセージを作成する際には、1つの事実にたいして複数の「フレ―ミング効果」を狙い、メッセージを作り分けていく。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P106

DSC_5882 (Small).JPG宝満山


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無為バイアス [言葉]


 医療における決断の分析を行った認知心理学者は「無為バイアス(omission bias)」と呼ばれるものについて叙述している。
すなわち、もし自分が治療の選択などに深く関わって望ましくない結果、ことに副作用などが出た場合よりひどく後悔することになるだろうと恐れて、あえて積極的に自分で決定を下したくない、というひとが出てくるのだ。
この後悔することへの恐れのために患者によっては治療の選択権を放棄してしまう。

決められない患者たち
Jerome Groopman MD (著), Pamela Hartzband MD (著), 堀内 志奈 (翻訳)
医学書院 (2013/4/5)
P105









IMG_0161 (Small).JPG旭川市旭山動物園

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ネット検索能力 [雑学]

 高齢者を含め多くの患者は、治療に関連した情報をインターネットを用いて探していることが多い。
米国では75%~80%の利用者が健康に関連する情報を検索している(3)。65歳以上の成人の約20%がインターネットを利用していて、その80%が健康に関連する情報を検索している。
さらに、高齢者の3分の1が治療を受けるかどうか考えるときに、ネット上の情報が大きく影響していると答えている(4)。
わが国の高齢者の医療リテラシーに関するデータは少ないが、おおよそ米国と似た状況と考えられる。
端的にいえば、ネット上の健康情報は、健康に関連した決定をするうえで重要なセカンドオピニオンの位置づけになっていると言える。
 しかし、情報を検索する作業には、いくつかの難しい課題が含まれている。例えば、ネットで正しい情報を得るためには、正しい検索語を選択しなければならないし、得られた結果が適切かどうか判断したうえで、もう一度検索語を修正して、より見合った結果を選択できるように進めていかなければならない。
解釈も必要だし、適切なリンクを選択することも求められる。

医療現場の行動経済学: すれ違う医者と患者
大竹 文雄 (著), 平井 啓 (著)
東洋経済新報社 (2018/7/27)
P172

DSC_5889 (Small).JPG宝満山


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苦味は毒センサー [雑学]

 妊娠中、つわりになると、味覚に変化が生じて、酸っぱいものが食べたくなったり、口の中に苦味が感じられて特定の食べ物に吐き気をもよおしたりすることはよく知られています。そのつわりについて、おもしろい説があります。
 つわりの時期というのは、胎児の発生過程においてちょうど人間らしい形ができあがってくるタイミングです。それは、同時に奇形が生じやすいタイミングでもあるのです。
当然、その時期は、少しでも奇形を生じさせる可能性がある物質、専門用語では催奇性物質といいます、を避けることがのぞましい。だから、つはりは、そのようなものを食べないようにする防御反応ではないか、という説です。検証するのは難しいですが、つわりのような不快な現象が生じるには、それなりの理由があるはずなので、正しいんとちゃうかと思っています。
 ビター味のチョコレートは美味しいし、ビールに苦味がなければたよりなさすぎます。けれど、とこ もう少し詳しくいうと、苦味の感覚は、毒や腐った物など体に有害な物を避けるために進化してきたのではないかとされているのです。
嘗めたことがないのでようわかりませんが、毒物の多くは苦いらしいし、腐った物は苦味が強くなるとん苦味が好き、という人は少ないでしょう。
我々にとって、基本的に苦味は不快な味なのです。ならば、感じない方がいいような気がしますけど、そうではありません。つわりと似たような意味で、苦味は、我々にとって防御的な役割を持っているのではないかと考えられています。
そうです。 おもしろいことに、苦味の閾値は他の味に比べてはるかに低い、いいかえると、ものすごく感じやすいのです。 こういったことから、苦味の味覚は毒センサーとして働いているのだろうと考えられています。
酸味については、個人的な好き嫌いがかなり大きいような気がしますけど、ある程度は、苦味と同じように防御的な働きがあるとされています。そうしたら、ものによっては、腐ると饐(す)えたような匂いがしますよね。広辞苑には「饐(す)える:飲食物が腐ってすっぱくなる」とありますから、そのまんまの言葉ですね。
 一方、、甘味、塩味、そしてうま味、はおおよそ美味しい。これらは、体に悪い物が持っている苦味とは逆に、体に必要な食べ物に含まれる栄養素が持っている味です。そういった物は、美味しいと感じてちゃんと摂取する必要があるわけです。

(あまり)病気をしない暮らし
仲野徹 (著)
晶文社 (2018/12/6)
P030

DSC_5906 (Small).JPG宝満山


タグ:仲野徹
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どこから病気? [ものの見方、考え方]

 年齢に伴う機能低下や、はっきりした病気があっても、自分が家族や友人を含む広い意味での社会環境とうまくつながって生きている、という感覚があれば、その人は「健康」でありうる。
老年期はいわば長く延びたグレイゾーンであって、「病気」と思うと「病気」、「健康」と思うと「健康」といった心理現象が日常的におこります。
 ゆったりとした時間の流れる伝統的文化の社会では、機能低下をきたした高齢者に「健康感」を与える仕組みがあります。第三章でみた敬語の体系はそのひとつで、ジャワ、タイなど東南アジアの多くの文化において働きが認められました。社会的実績のある人に周囲は敬意を払いますが、認知能力の低下した老人に対しても敬意を払うというマナーは、その人が自分の人生は価値あるものだったと感ずる上で意味を持ちます。

「痴呆老人」は何を見ているか
大井 玄 (著)
新潮社 (2008/01)
P162

 

DSC_2824 (Small).JPG立久恵峡温泉

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富人を羨(うらやむ)むことなかれ [倫理]

富人を羨むことなかれ。


渠( か)れ今の富は、安くんぞ其の後の貧を招かざるを知らんや。


貧人を侮ること勿れ。


渠れ今の貧は、安くんぞ其の後の富を胎せざるを知らんや。


畢竟( ひっきょう)天定なれば、各( おのおの)其の分に安んじて可なり。

                       「 言志晩録」第一九〇条


                       佐藤 一斎 著

                       岬龍 一郎 編訳

                       現代語抄訳 言志四録

                       PHP研究所(2005/5/26)

                       P170

< 1923285浄土寺

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認知症と向き合う [医学]

(住人注:認知症の)Sさんはすでに、ご家族の判別がつきません。私たち看護師をあるときは奥さん、あるときは娘さんと認識して話しかけてきます。その場合、私たちは絶対に否定しません。
否定しても患者さんが不安になったり混乱したりするだけなので、必ず話を合わせます。
~中略~

 ある日、地元で暮らす妹さんがお見舞いに訪れました。
もちろん妹さんは、自分の兄が認知症であることを知っていると思います。でも病室に入るなり、Sさんに向かって「私が誰だかわかる?名前を言ってみて」と声をかけたのです。
Sさんが答えられずにいると、なのも、「兄さん、私のこと忘れちゃったの?」と質問します。それが2~3分続いたでしょうか。Sさんはとうとう「うるさい!」と声を上げ、車椅子で病室を出て行ってしまいました。

 あっけにとられている妹さんに、私は言いました。
「Sさんは今、一生懸命あなたのお名前を思い出そうとしていましたよね。でもご本人にしてみれば、自分が忘れてしまったことを問いただされるのは、ものすごくつらいことなんですよ。だから今度いらしたときは、ご自分から名乗ってあげてくださいね」

 自分のことを覚えていてほしいという、ご親族の気持ちはわかります。
でも、患者さんはそうしたくて忘れたわけではありません。いくら思い出そうとしても、記憶の引き出しが開かないのです。
そこで無理やり引き出しをこじ開けようとすると患者さんは混乱し、イライラ感を募らせたり乱暴を働いたりします。

大切な人の「こころの病」に気づく 今すぐできる問診票付
日本精神科看護技術協会 (著), 末安民生 (著)
朝日新聞出版 (2010/11/12)
P140

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糟糠(そうこう)の妻 [家族]

貧賤の交わりは忘るべからず。


糟糠( そうこう )の妻は堂より下さず
                              後漢書


                       佐藤 一斎 著

                       岬龍 一郎 編訳

                       現代語抄訳 言志四録

                       PHP研究所(2005/5/26)

                       P174

-44d76.jpg

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マウンティングには応戦しない [対人関係]

 自分のほうが立場が上であるとアピールしたいとき、人は相手を下に見るような言い方をします。これがマウンティングです。
 マウンティングする人は、じつは根底に劣等感を持っています。つまり、自信がないのです。 ですから、相手からマウンティングされてイラッとしたときは、相手と同じ土俵に乗らないのが一番です。
 また、マウンティングをする目的は、その場で自分が優位に立つことですから、その目的さえ達成されれば、本人は満足なのです。
発言に大きな意味もないので、言われたことをいつまでも気にせず、さらりと返したほうがいいでしょう。

<イラスト&図解>コミュニケーション大百科
戸田久実 (著)
かんき出版 (2019/2/14)
P124

DSC_5869 (Small).JPG宝満山


タグ:戸田久実
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家庭生活は自己否定の修養の場である [家族]

相手の身になって考えてやるということが必要だ。
そのためには個性の主張がなによりいけないことになる。
個性の主張にもとづいた反省でさえも、不必要であり、有害だ。
~中略~
そのような反省は、思いやりとは全然異質のものである。
わたしたちの間では、まず、「完全な自己否定」が前提とされなければならない。
家庭生活は、自己否定の修養の場でなければならない。
サービスとか、世話と言うような気持ちだけではまだまだ不十分なのである。

会田 雄次 (著)
日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (講談社現代新書 293)
講談社 (1972/01)
P160

日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (1972年) (講談社現代新書)

日本人の意識構造―風土・歴史・社会 (1972年) (講談社現代新書)

  • 作者: 会田 雄次
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1972
  • メディア: 新書


-37d72.jpg門司港

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コミュニケーション [言葉]

すでにわれわれは、コミュニケーションについて四つの基本を知っている。すなわち、コミュニケーションとは、 ①知覚であり、②期待であり、③要求であり、④情報ではない。それどころか、コミュニケーションと情報は相反する。しかし、両者は依存関係にある。

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー (著), 上田 惇生 (翻訳)
ダイヤモンド社; エッセンシャル版 (2001/12/14)
P157

TS3E0345 (Small).JPG到津の森公園

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後悔は未来へのバネにはならない [ものの見方、考え方]

   宮本武蔵対佐々木小次郎の、この決闘は慶長十七年(一六一二)四月十三日に関門海峡の巌流島(むかしは船島とも向島とも言った)で、実際に行われた。
いまは小倉郊外の、海峡を見下ろすすばらしい眺めの手向山に武蔵と小次郎の碑が仲良く建ち、この日に武蔵・小次郎祭が賑やかに行われている。~略  「いずれの道にも、わかれをかなしまず」「世々の道に背くことなし」などと、「五輪書」「独行道」などの著書で名言を数々残している武蔵であるが、なかでも有名なのは、
「我事において後悔せず」
 これを「われ事において」と読んで、自分のした一つ一つのことには後悔しない、と解する人が多く、狭小な理解じゃないかと考えているが、今回は余計な議論はやめる。
  いずれにせよ後悔は未来へのバネにはならないのである。人を奮い立たせてくれない。反省するのはいいが、後悔はほどほどがよかろうか。

この国のことば
半藤 一利 (著)
平凡社 (2002/04)
P137

この国のことば

この国のことば

  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2002/04/01
  • メディア: 単行本


巌流島2003.3.23.1M (Small) (2).jpg

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パワポは1枚1メッセージ [対人関係]

 プレゼンのとき、1枚のパワーポイントに、要点をいくつも載せて、さらに解説文まで細かく掲載して読み上げる人がいますが、私はおすすめしません。
スライドに書いてあることを読むことに集中させてしまうと、じつは頭に残りません。加えて、飽きさせてしまいます。
 スライドは、1枚1メッセージにとどめましょう。

<イラスト&図解>コミュニケーション大百科
戸田久実 (著)
かんき出版 (2019/2/14)
P184

DSC_5875 (Small).JPG宝満山


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人前で話をする時 [対人関係]

 もし君が、伝えたい内容を何の飾りもつけずに、理路整然と話せればそれで十分だと思っているなら、それはとんでもないまちがいだ。
人前で話をする時は、話の内容ではなく、能弁か否かでその人の評価が決まってしまう。
 私的な集まりで人の心をつかみたい時でも、公的な会合で聴衆を説得したい時でも、大切なのは、内容もさることながら、その人の雰囲気、表情、身ぶり、品位、声の出し方、なまりの有無、どこを強調するか、抑揚など、いわば枝葉の部分なのだ。
~中略~

 何の飾りもない理路整然とした話し方は、知的な人間が二、三人集まる私的な集まりでは、説得力もあるし、魅力もあるかもしれない。けれど、たくさんの人間を相手にする公的な場では、通用しない。
 世の中とはそういうものだ。私たちは、スピーチで何かを教えられるよりは楽しく聞けることの方を選ぶ。
元来、人にものを教えられるということは、あまり気分の良いことではない。
無知だと言われているようなものだから、スピーチがすんなり聞く人の耳に入り、人の賞賛を浴びるには、まず喉ごしがよくなくてはならないのだ。

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章
フィリップ・チェスターフィールド (著), 竹内 均 (翻訳)
三笠書房 (2011/3/22)
P133

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)

父から若き息子へ贈る「実りある人生の鍵」45章 (知的生きかた文庫)

  • 作者: フィリップ・チェスターフィールド
  • 出版社/メーカー: 三笠書房
  • 発売日: 2011/03/22
  • メディア: 文庫


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信頼関係 [経営]

信、上下( しょうか )に孚( ふ )すれば、天下甚だ処し難き事無し。

                       「 言志録 」第一五〇条


                       佐藤 一斎 著

                       岬龍 一郎 編訳

                       現代語抄訳 言志四録

                       PHP研究所(2005/5/26)

                       P67

1915400松山城1

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相手の涙に振り回されるな [対人関係]

 涙は「これ以上私を責めないで」という自己防衛の気持ちの表れです。
 何かを指摘して涙を見せられたとき、オロオロして慰めたり、優しくするのはNG。泣けば許してもらえると思って、繰り返します。
「泣くんじない!」と怒っても、余計に涙を増長させるだけ。「泣いてもどうしょうもないんだ」と相手に自覚してもらうようにすることが一番です。
こちらはいつでも冷静に対処しましょう。かける言葉もドライにします。そうすると、泣く回数は減っていきます。

<イラスト&図解>コミュニケーション大百科
戸田久実 (著)
かんき出版 (2019/2/14)
P134

 

DSC_5874 (Small).JPG宝満山


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