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よく解っていないということが判る重要性 [ものの見方、考え方]

  毒性の報告においても、大学などの論文数を競っているアカデミックの世界では、なにかの物質に毒性が”あった”という報告のほうが、”なかった”という報告より評価が高くなります。
しかし、レギュラトリーサイエンスの世界では、きちんとベースラインが揃っているとか再現性があるというデータのほうの信頼性が高く、「10回に1回しか測定できない毒性影響」などは評価が低いのです。
学術論文の世界では往々にしてなんらかの影響を検出しようとして行った実験によって、目的とする結果が得られなかった場合、論文として発表されないという事態が起こります。(出版バイアス)

畝山 智香子 (著)
ほんとうの「食の安全」を考える―ゼロリスクという幻想
化学同人 (2009/11/30)
P41

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養老 孟司
戦後、あらゆることが説明できるという幻想がはびこっているようです。
 一種の科学信仰で、科学がこれだけ進んだので、大概のことは説明できるようになったと思われているようですが、それはまったくの誤解です。

 それが前提になっている典型的な質問は、「脳はどこまでわかりましたか」というしつもんです。そういう質問が出てくるということは、どこまでわかったか説明できるという前提に基づいています。しかし、いくら調べたって「どこまでわかったか」などわかるわけはないのです。

 その手の質問の根本にあるのは、意識中心主義で、意識以外は存在しないというとらえ方です。意識でとらえられないものは一応無視してしまう。そうすると、バブルみたいな非常に極端なことが起こってくるのではないでしょうか。

森 毅 (著), 養老 孟司 (著)
寄り道して考える
PHP研究所 (1996/11)
P175

寄り道して考える

これだけ手間とお金をかけて研究しても、結論が出ないということがわかればそれも非常に大切なのです。
~中略~
「よくわからない」ということがよくわかりましたということでもいいのです。

養老 孟司 (著)
超バカの壁
新潮社 (2006/1/14)
P156

超バカの壁

科学的には「分らない」というのが正しいわけです。分らないものは分らないとするのが科学の本来ですから、証明できないくせに「ない」という人は科学者失格ですね(笑)。
で、「ある」とか「ない」とかいう見解を示してくれるのが宗教だと思うんです。
京極夏彦

玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P23

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 人は何かを質問されたり、相談された時、必ず答えを言わなければならないと思ってしまいます。聴き手側は”知らない”、”わからない”と言うことに抵抗があり、質問をはぐらかすような回答をしたり、不確かなままで、誤っている可能性のある答えを返してしまうこともあります。
しかし、わからないことはわからない、自分で判断できないことはできないと誠実に応えることが大切です。
 的確な答えを出せなくても、また話し手の要望に一〇〇%応えられなくてもいいのです。話し手と聞き手が一緒に考え、模索しあうという会話であれば、また具体的な答えが得られなくても自分の気持ちをわかってもらえたという満足感があれば、話し手側は納得できるものです。

精神科医はどのように話を聴くのか
藤本 修 (著)
平凡社 (2010/12/11)

P189



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