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いい年なんか気にしない [人生]

 中高年からは、「いい年をして」と周りから言われるのを過常に気にしたり、自分に言いきかせたりしないで、面白そうと思ったことはやってみることだ。
ましてお金と時間があれば、今まで知らなかった強い刺激を得ることは比較的簡単だ。

人は「感情」から老化する―前頭葉の若さを保つ習慣術
和田 秀樹 (著)
祥伝社 (2006/10)
P73

DSC_0036 (Small).JPG関門橋

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教育の経済学 [教育]

 教育の経済学という経済学の分野がある。経済学の手法を用いて、高等教育を受けた時の所得上昇効果を分析したり、少人数学級の教育効果を分析したりする分野である。
ところが、教育の専門家のなかには、経済学の視点で教育をとらえることに拒否反応を示す人が多い。
それは、教育の分野では、「より所得を稼げるようになること」ではなく、「豊かな人生を送ることができるようになること」を目的にしていて、豊かさとはお金以外の価値にあるということを教えようとしているからだろう。
だから、お金で教育の価値を測るような経済学のアプローチは許しがたいのではないかと思う。
 もっともな感情だと思うが、誤解もある。経済学者は。お金にしか価値を見出さないわけではない。もちろん、お金がなくても幸福な人生を送ることは可能だ。しかし、最低限のお金がないと、幸福な人生を送ることが難しくなるのも事実だ。実際、さまざまな幸福感に関する統計をみても、ある程度の年収までは、所得が高くなるほど平均的な幸福感も高くなっている。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
P220

DSC_3857 (Small).JPG関門海峡


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名利に迷うな [哲学]

  [第三十八段] 名利に追いまくられて、静かな暇もなく、一生を苦しめるのは、実に愚かなことである。
財産が沢山あると、身を守るすべがわからない。「財産」は、あやまちを求め、悩みを招く仲介となる。
~中略~
黄金は山に捨て、珠玉は淵に投げるがよい。名利に迷うのは、極めて愚かな人である。
 不朽の名を長く後世に残すということこそ、望ましいことにちがいないが、位が高く、身分の尊いのを、必ずしもすぐれた人とはいえない。愚でつまらぬ人間でも、家柄に生まれ、めぐり合わせがよければ、高い位にのぼり、驕りをきわめる者もある。
すぐれたえらい賢人・聖人でも、自分からもとめて、低い位におり、時運に合わないで終わってしまうという場合もまた多い。 それゆえ、ひとえに高位・顕官を望むのも、次に愚かである。
 智慧と心ばせとにおいてこそ、世に抜きんでているという誉をも、残したいものであるが、しかしながら、よくよく考えてみると、誉を愛するというのは、世間のよい評判を喜ぶのである。
誉める人間も、そしる人間も、ともにそう長くはこの世に留っていない。それを聞き伝える者もまた、じきに死んでしまう、とすれば、誰にはじ、誰に知ってもらいたいと願っても仕方がない。
(それに)、誉というものは、また、そしりの基になるものだ。
自分が死んだあとに、名が残ったとて、何等の益もない。これを望むのも、次に愚かである。 ~後略

徒然草―現代語訳
吉田 兼好 (著), 川瀬 一馬
講談社 (1971/12)
P207

DSC_6236 (Small).JPG臼杵石仏

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釈尊の教え [宗教]

釈尊の教えの中核になるのは縁起という考え方である。
それは次の三項目にまとめられている。
◎因・・・種があって草が生えるように、それが生じた直接の原因をいう。
◎縁・・・すべては、いろいろな関係(状況・条件)によって生じる。
◎果・・・因と縁によって生じた結果。その結果がまた、因となり縁となっていく。この果を受けることを「報(果報)」という。

この縁起を基本に、声聞は四諦、縁覚は十二因縁、菩薩は六波羅蜜によって仏道を修めるものと法華経は語っている。

四諦八正道
「諦」は「あきらめる」ではなく「あきらかにする」という意味。
◎苦諦・・・人生は苦である。いたずらに苦から逃れようと考えてはならない。
◎集諦・・・苦はさまざまな原因が集ったところに生じる。その原因を見きわめなければならない。
◎滅諦・・・苦しみの原因を知り、それを取り除けば、苦は滅びる。
◎道諦・・・苦を滅ぼすためには、正しく修行しなければならない。それには、次の八正道がある。

①正見・・・偏見にとらわれず正しく見ること。
②正思・・・考え方を正しくすること。
③正語・・・正しく語ること。
④正業・・・行いを正すこと。
⑤正命・・・正しく生活すること。
⑥正精進・・・正しく努力すること。
⑦正念・・・正しく思念すること。
⑧正定・・・「定」は禅定と同じ。心を統一すること。

>>>十二因縁 

>>>六波羅蜜 

三法印と空
縁起の思想もまた、「三法印」と呼ばれる三項目にまとめられている。
◎諸行無常・・・「諸行」はあらゆる現象のこと。それは常に変化している。
◎諸法無我・・・「諸法」はあらゆる事物。自我を含めて、すべてはあらゆるものとの関係において存在している。
◎涅槃寂静・・・「涅槃」も「寂静」も悟りの平安な境地を言う。「諸行無常」「諸法無我」を見つめることによって平安に達せられる。
諸法は無我であって固定的な実体を持たない。この事を「空」という。
空の場においては、すべての事物・現象は因・縁・果の連鎖になり、すべてが関連しあって変化してゆく。この空を「虚空」ともいう。

大角 修 (翻訳)
図説 法華経大全―「妙法蓮華経全二十八品」現代語訳総解説
学習研究社 (2001/03)
P56

-d02c0.jpg法隆寺 中門

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ゆっくり歩く者は遠くまで行ける [ものの見方、考え方]

九州の山を歩くと、脇目もふらずといった感じでさっさと登っている人が多い。時速でいえば、4キロくらい?
 これは、大人が平坦な街中を歩く際の平均的なスピードです。この速度で北アルプスの山を縦走なんかしたら、よほど体力に自信がある人でない限り、途中でバテて歩き通せないのでは・・・と思うのです。
九州の場合、日帰り山行が主体で、登山口から山頂まで片道2、3時間という山がほとんど。だから、前述の歩き方で通用するのでしょうね。それが悪いとは言いませんが、山登りはスピードを競うものではありません。
~中略~
 で、「ゆっくり」の具体的な解答としては、ハアハアゼエゼエ息を切らさない程度の速さというふうに理解してもらえば幸いです。ついでにいえば、ハアハアゼエゼエとは、私としてはかなり疲れた状態、いわばバテる一歩手前くらいのニュアンスを込めているのですが、こういう感覚的な部分は、やっぱり表現が難しいですね。

登山力アップの強化書
徳永 哲哉 (著)
西日本新聞社 (2017/6/19)
P054

DSC_4931 (Small).JPG


タグ:徳永 哲哉
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自利・利他の教え [宗教]

「それ釈教は浩汗(こうかん)にして際(きは)なく、涯(かぎり)なし。一言にしてこれを弊(つく)せば、ただ二利あり。
常楽の果を期するは自利なり。苦空の因を済(すく)ふは利他なり。空しく常楽を願へども得ず。徒(いたずら)に抜苦を計れどもまた難し」
(弘法大師空海「請来目録」)
【現代語訳 およそ釈尊の教えは途方もなく浩(ひろ)く、限りなくはてしないものです。一言でつくせば、ただ自利・利他の二つの利益にあります。 永遠の生命と、そこに生きるよろこびを願い求めるのが自利です。そして人間苦と執着の迷いから救うのが利他です。むなしく自利を願っても、得ることが出来ません。いたずらに利他をはかっても、また容易ではありません】

ボクは坊さん。
白川密成 (著)
ミシマ社 (2010/1/28)
P197

DSC_0947 (Small).JPG両子寺

ボクは坊さん。

ボクは坊さん。

  • 作者: 白川密成
  • 出版社/メーカー: ミシマ社
  • 発売日: 2010/01/28
  • メディア: 単行本




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遊牧民族 [雑学]

 遊牧民族が国家をつくった場合、そのまま収奪国家になるということは、さきにのべた。
遊牧民は本質的に武人であり掠奪者であり、遊牧以外の生産をいやしんだ。
とくに地をはいまわって耕す農民や、細工台にかがみこんでいる彫金工や、また原始的な森林の人―狩猟採集生活者―をばかにしきっているところに、かれらの遊牧者の誇り高さがあった。
卑屈な顔つきの遊牧者というものはありえないといっていいほどかれらは誇り高く昂然(こうぜん)としているものであったが、一面、農民のように大地に固執しないために、その帝国はいったん結束と武力をうしなうと、脆(もろ)かった。

ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P51

DSC_4193 (Small).JPG関門海峡


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いてまえに落とし穴が潜んでいる [ものの見方、考え方]

―冷たい雨に打たれながら前進している。風も強く、体が冷えてきて寒い。フリースを1枚着込み大河たいが、あと30分も辛抱したら避難小屋に着きそうだ。立ち止まってザックを下すか、それとも歩き続けるか―
 もしかしたら、歯を食いしばって前進し、一刻も早く避難小屋へ到着したほうが結果としてよかったという場合があるかもしれません。でも、私なら30分後の避難小屋よりも今の寒さをなんとかするために、ザックを下してフリースを着ます。
体が発しているシグナルを大切にして、寒いと感じたら着る、暑ければ脱ぐ、そうシンプルに行動する方が好結果を生むと経験的に知っているからです。その30分の間に低体温症で行動不能にならないとも限りませんね。
 実をいうと、立ち止まる、ザックを下す、フリースを取り出す、着るという一連の動作は、とても面倒なんものなのです。
好天時ならなんともないのに、雨や雪や強風など状況が厳しくなればなるほど一つ一つの動作が億劫になるんですね。そこに落とし穴が潜んでいるような気がします。小さな穴ですが、ときには生死を左右するかもしれないと認識すべきです。
~中略~
 ゴー、ステイ、バックという三つの選択肢があるとき、どれが正解かは一概には言えません。天候、ルートの難易度、装備、そのパーティなりう個人なりの力量といった要素が複雑に絡んでくるからです。しかし、一つ言っておきたいのは、ステイやバックを選ぶには決断と勇気がいるということ。そのため、厳しいと分かっていながらも、ひたすらゴーとなってしまう。
そうした遭難事例が多いように思えてなりません。
 山登りにおいてゴー(前進)は、ある意味前提ですからね。ゴーを選択したというのは、決断を先送りしたのと同義とも言えるわけですよ。たとえていえば、車にタイヤチェーンを装着するケースとよく似ています。

登山力アップの強化書
徳永 哲哉 (著)
西日本新聞社 (2017/6/19)
P079

 

DSC_4800 (Small).JPG英彦山

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高齢者に「痩せましたね」は禁句 [養生]

痩せましたね」と言った職員に聞いてみると、「褒め言葉のつもりで言ったんです」とのこと。悪気は一切なくても、高齢者にしてみると「痩せた」というのは「ガンかも」「命の危険があるのでは」と真剣に悩ませてしまいます。
 40~70歳ですと「痩せすぎ」は6%で、「肥満」が26%なので肥満のほうが問題になることが多いです。けれども年を追うごとに痩せてきて、「痩せすぎ」の人は80歳以上で11%、85歳以上は15%と増えていきます。6)
つまり「痩せた」というのは、「年を取ってやせ衰えた」という意味にもなるので禁句なのです。

しかも高齢になると、体重を元に戻す力が弱くなります。痩せたら痩せたままになってしまうのです。 ちなみにその逆、つまり、太ったら太ったままにもなりやすいです。

老人の取扱説明書
平松 類 (著)
SBクリエイティブ (2017/9/6)
P182

DSC_4110 (Small).JPG企救自然歩道


タグ:平松 類
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こんな日本に誰がした [日本(人)]

もう高校生になった子供に対し、親の方から積極的に働きかけて「サンタの夢」を現実生活の中に創造したり、その同じ「夢」の世界の中で親子が一緒にプレイするような所まで進化し始めている。
それはまるでディズニーランドのシンデレラ城の中で観客を動員して行われるアトラクションにも似ている。そして、近年のこんな親たちの「努力」が功を奏したのか、「まだまだサンタの健在」の家庭が増え、いまでは中学生になっても高校生になっても、サンタクロースからのプレゼントを貰い続ける子供たちが、約五割に達しようとしているのである。

普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓
岩村 暢子 (著)
新潮社 (2007/10)
P12

P1000122 (Small).JPG

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自由ということ [哲学]

 ここで自由ということが、近代の政治史の上でいったい何を意味したかを、簡単に振り返って考えてみることにしよう。
まずアメリカ合衆国の独立宣言では、あらゆる人びとが幸福を追求する権利を要求した。
それが、フランス革命では、これを自由というたった一語に結晶させてしまった。
そして、それにつけくわえられた平等というのは、要するに一種の管理社会の概念であり、博愛というのは自己抑制(セルフ・コントロール)のことにほかならない。
なかでも、この最後のものは、デモクラシーが有効に機能するための必須の条件だが、およそこれぐらいむずかしいものはなかろう。なぜならば、これは平凡な市民に対して、ぎりぎりの能力の放出を要求するからだ。
が、ともかくも、こうしてデモクラシーの哲学の最初の一巡が終わる。

 そして一九世紀の中頃から始まるのが、第二の段階である。これは民族という地域的なグループが集団として国家としての自由を追求しようとする働きであり、しかも同時にその集団の内部における社会的な平等を、それぞれに独自な方法を通じて実現しようとするものにほかならない。

地政学入門―外交戦略の政治学
曽村 保信 (著)
中央公論社 (1984/01)
P71

DSC_6288 (Small).JPG

菅尾石仏

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貧困救済策 [社会]

 最低賃金引き上げは、貧困解消手段として政治的にアピールしやすい。だがこの結果、一番被害を受ける恐れがあるのは、前述のとおり最も貧しい勤労者やこれから仕事に就こうとする若者・既婚女性だ。
雇用者同士の賃金格差は縮小し、労働組合には、有効な格差是正策である。ただし、それは最低賃金の引き上げで職を失ったり、職を得られなかった人を排除した結果得られたものである。社会全体でみれば、最低賃金引き上げで職を失った人まで考えれば、格差はむしろ拡大することになる。
 真の貧困救済策はどうあるべきか。第一は、教育訓練を充実することだ。質の高い労働者なら、企業はそれだけ高い賃金を喜んで払うだろう。子どもの頃からの教育の充実も大事だ。
第二は、給付付き税額控除や勤労所得税額控除のような負の所得税を作ることだ。賃金規制という強硬手段で失業という歪みをもたらすのではなく、税と社会保障を用いた所得再分配で貧困問題に対応するのが筋である。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
P200


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規制強化は問題を解決しない [社会]

そもそも非正規の雇い止めが発生してから「非正規切りはけしからん」と企業を責め立てても、責められる企業も困ったはずだ。非正規社員を雇用の調整弁とすることを社会から認めれれている以上、この行動は企業にとって完全に合理的であるからだ。
同じく、非正規切りについて特段の対策を求めず、春闘で賃上げを求める組合の行動も、正社員の意見を代表する立場としては正当化されてしかるべきである。
非正規社員を増やした段階で、不況になるとこうなることは予測されており、だからこそ、企業も労働組合も非正規比率を上げてきたのだ。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
P159

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我見を離るべし [学問]

 学人の第一の用心は先ず我見を離るべし。
我見を離るゝと云ふは、此の身を執すべからず。説ひ古人の語話を究め常座鉄石の如くなりとも、この身に著して離れずんば、万劫千生にも仏祖の道を得べからず。

懐奘 (編集), 和辻 哲郎
正法眼蔵随聞記
岩波書店; 改版版 (1982/01)
P88

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睡眠麻痺(金縛り) [雑学]

  夢を見ている最中に、フッと目が覚めると、体が動かず、「金縛り」になることがあります。
専門的には「睡眠麻痺」と呼びます。
これはレム睡眠(浅い眠り)の途中で起こった突発的な目覚めで、本人の意識状態はまだ夢の延長にあります。
ですから、金縛りのときには、幻想的で非現実的な幻覚がよく生じます。

脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!?
池谷 裕二 (著)
祥伝社 (2006/09)
P186  

DSC_6330 (Small).JPG普光寺磨崖仏


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登山力 [雑学]

不快になるために山に登る人はいません。確かに急な上りはきついし、苦しい局面もあるし、危険もひそんでいます。でも、それらを全部ひっくるめて「身持ちがよくて楽しい」から山に向かうのですよ。
こんなふうにいえば、山登りをする人なら大方分かってもらえるのではないでしょうか。もしも、ただただきつくてつらいだけだったら、誰も山登りなんかやらないと思います。きつさやつらさを超える爽快感や達成感、心がどこまでも広がっていくような解放感を味わえる。だから、昔から人気があるのですよ。

登山力アップの強化書
徳永 哲哉 (著)
西日本新聞社 (2017/6/19)
P002

DSC_4804 (Small).JPG英彦山

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仏になろう [宗教]

  真言密教の教えの中心は即身成仏ということです。
即身成仏というのは、現実の肉体なままに仏になれるという思想です。ずいぶん大胆な考えです。肉体が汚れているという考え方はないん だ。肉体のまま仏になれる、それが即身成仏です。

~中略~
真言密教の中心仏である大日如来は宇宙の中心にいる、宇宙を支配している仏です。そして大日如来は一木一草に宿っています
人間 の中にも大日如来はいて、その大日如来と一体となることを灌頂といいます。

梅原猛の授業 仏になろう
梅原 猛 (著)
朝日新聞社 (2006/03)
P20

DSC_6192 (Small).JPG臼杵石仏ホキ石仏

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イヌ [雑学]

イヌがヒトを咬んだりすれば飼い主が責任を問われる。
だから紐でつなぐ。イヌは外からの危険を知らせたり追い払ったりする存在だったが、おかげでなんのためにヒトがイヌを家畜化したのか、わからなくなった。
だから中山間地域では鳥獣害が問題になる。イヌがいないんだから、当然であろう。クマもイノシシもサルも、あるいはタヌキもアナグマも、畑に喜んで出てくる。作物のほうが野生のものより栄養価が高く、美味に決まっている。そこにヒトと動物の違いはない。
 イノシシが来ないように、電気柵を設ける。シカはそれを跳び越すので、二メートルを超える金網を張る。それでもサルが上るので、漁網の古いのを横全体に張る。子ザルが網に引っかかって、動けなくなるらしい。あとは上空から侵入してくるカラスだけである。そこも網を張るしかないであろう。
ヒトがなぜイヌを飼うようになったのか、現代日本社会、たとえば鳥獣害を見ていると、しみじみわかる。そこでイヌを放すと、保健所が捕獲に来ることになる。ご苦労様というしかない。

遺言。
養老 孟司 (著)
新潮社 (2017/11/16)
P185

 

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ロシアの成立 [雑学]

 私どもは、人類の文明史からみて、ロシア人によるロシア国は、きわめて若い歴史をもっていることを重視せねばならないと思います。ロシア人によるロシア国家の決定的な成立は、わずか十五、六世紀にすぎないのです。
若いぶんだけ、国家としてたけだけしい野性をもっているといえます。

ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P12

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脳の中に生きる [ものの見方、考え方]

 (住人注;日本の社会の問題の中で)問題は少子化である。私は本書を含めて、私が年来主張していることは、このことと関連がある。
現在の日本の社会状況をいわば凍結して、このままの状態で社会が推移していくと、日本社会はいずれ消滅する計算になる。そんなことは起こらないだろう。だれもそう思うはずである。にもかかわらず、なぜ少子化なのかに対して、さして考慮がはらわれているとも思えない。
ひょっとすると、ほとんどの人が無関心であるのか、神風が吹くのを待っているのであろう。いずれ増えだすに違いない。そう思って日常を過ごしているなら、いわゆるユデガエルの状態である。しかも人口問題はゆっくり進行するので、いつ、なにをしたらいいのか、それがわからない。

遺言。
養老 孟司 (著)
新潮社 (2017/11/16)
P171

DSC_4748 (Small).JPG企救自然歩道

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意識の中にないものは存在しない [ものの見方、考え方]

養老 ごくごくやさしく言うと、昔は英米人には肩こりはないって思われていた。
「肩こり」っていう言葉がないから、肩はこらない。だけど、概念を導入した途端に彼らも肩こるわけですよ。で、マッサージが流行ったりして(笑)。

それはもうしょうがない。つまり、意識の中にないものは存在しないって思い込んでいるんです。
でも、人間そういうもんだっていう理解があるかないかで、僕は社会が随分違ってくると思うんですね。

玄侑 今は彼らも「スティッフ・ショルダー(stiff shoulder)って言いますもんね。そうか、あれは実は新しい言葉なんですね。知らなきゃよかったのにっていう言葉って、そういう意味じゃたくさんありますよね。

養老 孟司 (著) 玄侑 宗久 (著)
脳と魂
筑摩書房 (2007/05)
P143

2182004金銅八角燈籠


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シベリア [雑学]

こんにちとなると信じがたいほどのことだが、紀元前三千年から同二千年といった古代には、シベリアは日本よりはるかに文明の度合いが高かった。 日本が縄文時代の闇のなかにあるとき、すでにシベリアでは青銅器文化が興っていた。青銅器文化は紀元前四千年ごろにオリエントで興る。千年ほどを経てシベリアに入り、紀元前千五百年から同千二百年ごろには青銅の冶金(やきん)術がよほど普及していたから、金属冶金についていえば、中国の殷(いん)・周より早かったかもしれない。 すくなくとも中国に影響をあたえうる地理的な、あるいは時間的位置にあったといえる。  オリエントからはるかにつたあった古代シベリアの冶金技術は、この地なりに生産力の高い諸民族を生んだ。ただしその力が広域を支配して一大国家を形成するにいたらなかった。 多くの民族は、冶金術で生産を高め、広域社会をつくるよりも、むしろ原始的な採集生活にどどまって暮らしてゆく方が生きやすかったのかと思われる。

ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P47

DSC_4188 (Small).JPG関門海峡

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日本人の性格を形づくって来たもの [日本(人)]

 海音寺 前略~
今までわれわれの論じ合って来たことを要約してみますと、日本人の性格を形づくって来たものは二つあります。
一つは日本が絶海の島国であるということ、一つは日本には地震、台風等、天災地変が実にひんぴんとしてあるということ。
 絶海の島国であるために、大陸の文化がコンスタントには入って来ず、時々ドッと入って来た。それは新奇であり、在来のものよりずっとよい。
何千年という長い長い間には、これが日本人の性格を、新しいものにたいしては強い興味と愛情を感じさせ、従って古いものを何の未練もなく捨てさせるものに築き上げました。
従って、新奇なもの、外来のものにたいしてはいつも劣性コンプレックスを持つ、自信のない性格にもしました。~中略~

 地震・台風等の天災地変が多いので、健忘症にもなりました。関東大震災だって、こんどの戦災だって、きれいに忘れて、前以上に無防備な東京をつくり出しているのですからね。
たった一度の大火災にこりて、ロンドンを石造建築化した英国人とは大ちがいですよ。人間の力が微弱な時代には、どうにもならない災難や不愉快なことは早く忘れるよりよい方法はないのですから、これは生きる智恵と言ってよいでしょう。
くよくよしてもしかたがない、新しくやり直そうというので、日本人は淡泊で楽天的な性質になったのですね。
あなたがずっと言って来られた、過去や行きがかりや学問や思想にとらわれない、生き生きとしたエネルギーも、もちろんここから出て来るのでしょう。
 これはもちろんいい性質で、これがあるために、日本人は今日まで生きつづけて来たのですし、栄えても来たのですが、これからはこれだけではいかんでしょう。
地震や台風の襲来は避けることは出来ないが、人間の智慧と力の進歩した今日では、被害はまぬかれることが出来るのですからね。
今日の進んだ学問と工事力によって治山治水し、建築を丈夫にすれば、被害は立派にまぬかれることが出来るのですからね。もはや、健忘症による楽天はいけませんね。
 政治だってそうです。国民が健忘症では議会制民主主義は決してよくならない。政治家の悪を執念深く記憶していて、次の選挙に生かさなければ、政治家の質は決してよくならないのです。

新装版 日本歴史を点検する
海音寺 潮五郎 (著), 司馬 遼太郎 (著)
講談社; 新装版 (2007/12/14)
P242  

IMG_0026 (Small).JPG大正屋椎葉山荘

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解雇規制と生産性 [経営]

 雇用不安が高まると失業による所得リスクを小さくするための政策が重要になる。最も典型的な失業リスクにそなえるための公的政策は失業保険制度である。完全な失業保険があれば、人々は失業しても消費水準を下げなくてすむ。
 失業保険制度の最大の問題は、仕事をするのが嫌で働きたくない人が、失業したと偽って失業保険をもらったり、まじめに職探しをしないことだ。
このようなふまじめな失業保険受給者を排除するために、失業給付の水準を低くしたり、失業給付期間を短くしたりすることが多くの国で行われている。
 そのような場合、人々を失業による所得ショックから政府が守っていくためには、政府は人々の失業リスクそのものを引き下げる政策をとらざるを得ない。
一つの方法は、解雇規制を厳しくすることである。そうすれば、既に雇用されている人々の所得低下リスクは小さくなる。
一方で、仕事を探している人の就職率が低下するので、失業期間は長期化する。それでも、現在雇用されている人のほうが、仕事を探している人より多いので、国全体としては失業リスクが低下し、人々の所得低下リスクも低下する。
雇用調整が難しくなることによって、生産性が低下するというコストがかかるが、人々の雇用の安定が得られるのである。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
P122


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宗教というもの [宗教]

梅原 (住人注;蓮如は)嫁さんも何人かいるし、子どもは二十七人もある(笑)。浄土真宗を私はあの世つきの楽天主義といってます。
玄侑さんもおっしゃるとおり、宗教というものはのびのびと、人生は辛いこともあるけれども、けっこう楽しいものだということをまず説くのがいい。空海の考え方もそうです。
玄侑 密教も禅宗も、生を愛する宗教だと思いますね。
梅原猛

玄侑 宗久 (著)
多生の縁―玄侑宗久対談集
文藝春秋 (2007/1/10)
P174

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ワーカホリックと労働時間規制 [社会]

 長時間労働の問題を考える上では、労働者がワーカホリック(仕事中毒)になっているか、そうでないかが重要である。ワーカホリックとは、長時間労働をすると労働それ自体が苦痛でなくなってくるというアルコールや喫煙と似た依存症である。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
P177

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禅の世界 [宗教]

  ある日のこと釈迦牟尼仏が、聴衆が多数に集まっている中央の説法の座についた。
大衆は今日もありがたいお話が聞けるものと思い、緊張して釈尊の口許を見守っていた。釈尊は一言も発せず、会座の前に供えてあった一枝の花を取り、目の高さにもち上げて、二本の指でその花を何遍か拈った。
だれもそれが何の意味を示すか全然理解しなかったが、迦葉(かしょう)尊者はやがてにこっと微笑した。拈華微笑(ねんげみしょう)という。
その微笑を見た釈尊はすかさず、「今わたしが考えているこの法門を汝に付属する」といった時に、禅が釈尊から迦葉に伝わったものなのである。
これは文字通り以心伝心で、相互の心の触れ合いだけで重大な取り引きが行なわれ、言葉や文字などは一切使用しなかった。それで禅宗では、
 不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏
といい、経典とか解釈とかいうものを少しも重視せず、これらの文献は月を指す指のようなもので、最初に月ははどこにあり、どれが月であるか全く知らない時は、「あれが月だ」と指さす指が必要であるが、一度真如の月を知った以上、指は重要性がないのと同じように、究寛の目的である宇宙の真理を知るのには経文や仏画や仏像もそれほど重要性がないと説くのである。
それで「不立文字」という。釈尊の説法によらず別に心と心との触れ合いで重大な取引が完成したから「教外別伝」といい、直接に心と心の取り引きがあるから「直指人心」という。
そして宗教的最後の目的である「見性成仏」に達成するのが、禅の根本的な考え方であって、仏教の各派の行き方や考え方と全然異なるものをもっているのである。

続 仏像―心とかたち
望月 信成 (著)
NHK出版 (1965/10)
P179



伊勢神宮 内宮 (79).JPG伊勢神宮 内宮

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日本隣国の領土論理 [国際社会]

 すべて十七世紀のことである。
 冒険心に富んだコサックの隊長が配下をつれてやってきて、古来、シベリアに住んでいたアジア人を発見する。~中略~
かれら原シベリア人が抵抗すればそれこそ戦闘がおこなわれるが、普通、そうではなかったらしい。
 シベリアの森林で狩猟、河川漁労、遊牧あるいは粗放な農業を営んでいた古アジア人ともいうべきひとびとは、闘争心が強くなく、それにヤクーツク人のように農業をやっていた連中をのぞいては生活形態の点からいっても、土地所有の観念が薄かった。
「これはおれたちの土地だがら、お前たちロシア人はどこかへ行ってくれ」
 と主張した連中は、案外すくなかったのではないか、曠野の人であるからむしろ外来者に対して人懐こかった。
~中略~
 シベリアの地域地域を発見したかれらコサックたちは、まず堡塁を築いて原住民の襲撃に備えるのが、常だった。
~中略~
 なんのために(住人注;毛皮を)差し出すか、という理由はどぎついばかりにハッキリしている。新大陸にやってきた白人もそうであったように、シベリアにやってきた堡塁のロシア人も、高度の殺人技術をもっていたためであった。
かれらは引鉄をひけば雷のような音を発して人を斃(たお)す機械を多数もっていた。それが理由のすべてである。
 さらに滑稽なことには、
「納税民を載せている土地は、すなわちわが王朝の所有(もの)である」
 という思想が、古来あったことだ。ロシアにも中国にもある。かつてこのシベリアの広大な部分を所有していたモンゴル帝国にもそれがあった。
~中略~
要するにシベリア人の側からいえば、黒貂の毛皮を税金としてとりたてられることは、自分が走っている土地も取り立て側の所有になったということなのである。
~中略~
あたらしい中国は、バイカル湖以東の地域はかつて中国領であった、とする。
それがアイグン条約(一八五八)によりソ連領にされたことを不満とし、これをあらためて解決する用意を怠らずにいる。中ソ不仲の主要要素の一つは領土問題である。
 かつて清朝のころ、黒竜江畔に住む狩猟民族の首長がしばしば清朝に貢物をもってきた。
貢物をもってきたということはつまりは中国の領民であり、かれらの住む土地はとりもなおさず中国の属領である、という解釈になる。
貢物とはおそらく毛皮、とくに黒貂の毛皮であろう。
黒貂の毛皮を差し出しにゆく酋長は、その毛皮が後世、大国の論理の上でどれほど重大な意味をもつかは、むろん思いも寄らなかったにちがいない。
「お前は黒貂の毛皮を持ってきた。であるから、お前と黒貂が棲む土地はおれのものだ」
という大国(複数)の理屈は、庶民レベルでは子供の遊び仲間でも通用しない。
ところが国家間の対立の感情や論理は、近代から現代にくだればくだるほど、ときに子どもの遊び仲間以下の内容になる場合がある。


街道をゆく (5)
司馬 遼太郎(著)
朝日新聞社 (1978/10)
P34






 






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非認知能力が所得にプラスの影響を与える [雑学]

 学校教育の段階で恵まれない子どもたちへ援助をしたところで、就学以前の段階でに家庭環境が悪いとあまり効果がないことも明らかにされている。
アメリカの研究によれば、親の所得階級による子どもの数学の学力差は、六歳時点においてすでに存在し、その学力格差はその後も拡大を続ける。ただ、就学以前の段階できちんと教育を受けていた場合には、学校教育における援助は大きな効果があるという。
つまり、家庭環境に恵まれなかった子どもたちに、学校教育以降でのみ援助しても効果がなく、就学前の段階での援助と組み合わせることが重要だというのだ。

競争と公平感―市場経済の本当のメリット
大竹 文雄 (著)
中央公論新社 (2010/3/1)
P94

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タグ:大竹 文雄
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巫女 [雑学]

 本物の巫女は、欺瞞でなしに特異な精神状態におちいる。
神が憑くと、すわったまま信じがたいほどの高さまで跳躍する。その間、戦慄があり、恍惚がある。また無意識の狂舞がある。そういう状態のなかから、憑依(ひょうい)した神霊の言葉を吐くのだが、どこか、女性に多いヒステリー状態と似ているせいか、巫女は女に多い。
 周知のように、巫女とそれらにちなむ宗教現象をシャーマニズムという。古アジア一般の原始信仰で、どうやら発生地はシベリアではないかという説が一般的である。ともかくも、シャーマニズムの系譜は、北の方の寒い土地からきた。エスキモーからツングース、モンゴル、朝鮮、さらに南下して海にうかぶ日本にいたる。
三世紀の卑弥呼もシャーマンであったとしていいし、いまなお日本の新興宗教の教祖にシャーマンが少なくない。
 韓国ではいまでもシャーマン(男女を問わない。ふつう巫堂(ムーダン)という)が多い。呪具をいくつか持っているが、太鼓もそのひとつである。先日、梨花女子大学の李御寧(イ・オリョン)教授に会ったとき、韓国南部のどこかの島に本物の―原始的な―シャーマンが残っているから会いに行ったらどうかという勧めをうけた。そのとき、この比較文化論の俊英は、つぶやくように、
 ―遠くシベリアで発祥したシャーマニズムが、いまなお韓国の島にのこっているのです。
 と、やや感動をこめていわれた。
 シベリアのシャーマンについては、ロシアの学者や探検家の著作によらねばならない。
たとえば、ヤクート族(いまは東シベリアのヤクート共和国を構成する)のシャーマンは十九世紀の探検家が書いた絵によると、烈しく踊りつつ太鼓をたかくかざし、乱打している。
 モンゴルのシャーマンも太鼓をつかうが、ヤクート族や韓国の太鼓のように大きくはなく、小鼓のようなかたちをしている。~中略~
日本の東北地方では、巫女のことをイチコという。モンゴル語では巫人(イテイガン)という。まさか関連性はないとももうが、いずれにしても、日本の基層文化の一部に、発酵食品にせよ、シャーマニズムにせよ、シベリア圏にまでおよぶ古アジアの民俗をふくんでいることをわすれるべきではない。

ロシアについて―北方の原形
司馬 遼太郎 (著)
文藝春秋 (1989/6/1)
P178

 

 DSC_4179 (Small).JPG関門海峡

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